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河原温から見た大原美術館
河原が注目を集めたのは、1953年の第1回ニッポン展(東京都美術館)に出品した鉛筆素描の『浴室』シリーズであった。タイル貼りの閉鎖的な空間(浴室)に妊婦を含む人物が立ち、断片化した人間(あるいは人形?)の胴体、手足、首などが重力を無視して浮遊するという不気味な光景が描かれているが、人物が半ば戯画化されているため、凄惨さは抑えられている。河原は1950年代には他に『物置小屋の出来事』『死仮面』の鉛筆素描連作を残している。油彩画は、変形キャンバスに遠近法を極端に強調した構図のものが多く、大原美術館所蔵の『黒人兵』(1955年)などが知られている。(河原温 フレッシュアイペディアより)
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ジョヴァンニ・セガンティーニから見た大原美術館
Image:Mittag in den Alpen.jpg|アルプスの真昼(1892年、大原美術館所蔵)(ジョヴァンニ・セガンティーニ フレッシュアイペディアより)
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民芸運動から見た大原美術館
柳はこうして収集した工芸品を私有せず広く一般に公開したいと考えていた。当初は帝室博物館(現在の東京国立博物館)に収集品を寄贈しようと考えていたが、寄贈は博物館側から拒否された。京都に10年ほど住んだ後にふたたび東京へ居を移した柳は、実業家大原孫三郎(株式会社クラレ、大原美術館、大原社会問題研究所などの創設者)より経済面の援助を得て、1936年(昭和11年)、東京・駒場の自邸隣に日本民藝館を開設した。木造瓦葺き2階建ての蔵造りを思わせる日本民藝館本館は、第二次世界大戦にも焼け残り、戦後も民芸運動の拠点として地道に活動を継続している。(民芸運動 フレッシュアイペディアより)