-
大原美術館から見た倉敷アイビースクエア
薬師寺主計の設計による、イオニア式柱を有する古典様式の本館のほかに、1961年に藤島武二、青木繁、岸田劉生、小出楢重など日本の洋画家の作品や現代美術の作品を展示する分館、同年に河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉の作品を展示する陶器館が開館。1963年には棟方志功および芹沢銈介の作品を展示する板画館と染色館が開館した。なお、現在は、陶器、板画、染色の展示室を「工芸館」と総称している。1970年には東洋館が開館し、1972年には館から離れた倉敷アイビースクエアに児島虎次郎記念館が開館した。(大原美術館 フレッシュアイペディアより)
-
大原美術館から見た睡蓮 (モネ)
大原(児島)コレクションの最初の作品となったのは、児島と同世代のフランスの画家・エドモン=フランソワ・アマン=ジャン(1860年 - 1936年)の『髪』という作品であった。これは児島が1度目の滞欧中の1912年、アマン=ジャン本人から購入したもので、翌1913年に東京上野の竹之台陳列館で開催された光風会展覧会に出品された。当時、日本国内では西洋絵画の実物に接する機会はほとんどなく、この作品の公開は反響を呼んだ。美術館所蔵品の中核をなす作品の多くは、1920年から1923年の間に児島虎次郎によって、おもにパリにおいて収集された。モネの『睡蓮』は晩年の画家本人から児島が直接購入したものであり、マティスの『画家の娘―マティス嬢の肖像』も画家本人が気に入って長らく手元に置いていた作品を無理に譲ってもらったものだという。大原美術館の代名詞のようになっているエル・グレコ『受胎告知』は、1922年、3回目の渡欧中だった児島が、パリの画廊で売りに出ているものを偶然見出したもの。児島はこんな機会は二度とないと思ったが、非常に高価で手持ちの金もなかったため、この時ばかりは大原に写真を送り購入を相談した。現在ではこの名画が日本にあることは奇蹟だといわれている。その他、トゥールーズ=ロートレック『マルトX夫人の肖像―ボルドー』、ゴーギャン『かぐわしき大地』などの名品は児島の収集品である。これらの西洋美術の他に、エジプト美術、ペルシャ陶器、中国美術なども児島は収集した。これらの収集品は、美術館開館以前にも何度か公開され、評判を得ていた。。(大原美術館 フレッシュアイペディアより)