
大坂城から見た開高健
1950年(昭和25年)のジェーン台風によりまたもや損傷を受けたことから、本格的な補修事業が開始された。あわせて学術調査も行われ、1959年(昭和34年)には地下から豊臣時代の遺構が発見された。本丸内の司令部庁舎の旧施設は一時大阪府警本部の庁舎(後に大阪市立博物館)として使用され、石垣に囲まれた東外堀跡の南端部では拳銃の射撃訓練も行われた(大阪府警射撃場跡は玉造口土橋東側に現存)。大阪陸軍造兵廠跡は、長らく放置され、残された大量の鉄や銅の屑を狙う「アパッチ族」が跳梁し小松左京や開高健の小説の舞台ともなった。(大坂城 フレッシュアイペディアより)