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大引啓次から見た全国高等学校野球選手権大阪大会
浪速高校では1年夏からベンチ入りし、1年秋から遊撃手のレギュラーの座を獲得。2年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し8強入りに貢献。3年夏の大阪大会では5本塁打を放った。高校通算15本塁打。(大引啓次 フレッシュアイペディアより)
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大引啓次から見たオリックス・バファローズ
11月4日に明治神宮外苑創建80年記念で行われた東京ヤクルトスワローズと東京六大学選抜チームとの試合では3対2で六大学チームが敗れたものの、大引自身は先頭打者本塁打を含む3安打を記録した。11月21日に行われたプロ野球ドラフト会議(大学・社会人ほか対象)にてオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団した。背番号は10。(大引啓次 フレッシュアイペディアより)
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大引啓次から見た北海道日本ハムファイターズ
初打点:2007年3月29日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(スカイマークスタジアム)、8回裏に押本健彦から左中間2点適時二塁打(大引啓次 フレッシュアイペディアより)
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大引啓次から見た千葉ロッテマリーンズ
3月18日、阪神の選手などが多く所属するオフィスS.I.Cとマネジメント契約を締結。同年の開幕戦には八番・遊撃手として出場。開幕直後は打撃不振に苦しんだが、徐々に復調。5月7日の千葉ロッテマリーンズ戦では延長10回裏に荻野忠寛からプロ入り初のサヨナラ安打を放った。しかし、6月9日の阪神戦で久保田智之から右手人さし指に死球を受けて骨折し戦線離脱。8月27日の福岡ソフトバンクホークス戦で復帰し、以後は再び遊撃手のレギュラーとして出場。最終的には故障の影響もあって88試合の出場にとどまり打率.258に終わったが、得点圏打率.319を記録するなど成長の跡も見せた。(大引啓次 フレッシュアイペディアより)
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大引啓次から見た大阪ドーム
も前年同様に二番・遊撃手として開幕戦に出場。開幕直後は高打率を残すも、緩やかに調子を落としていくが、坂口智隆や後藤の打撃不振もあって、5月5日の日本ハム戦ではプロ入り後初の一番打者、5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦では初の三番打者を務めた。8月に入ると更に調子を落とし、8月29日に腰痛のため登録抹消。シーズン終盤に一軍に復帰したが、結局は規定打席に14不足した。一方で、自己最多の6本塁打を放っており、本拠地である京セラドーム大阪では前年までの5年間で2本塁打しか放っていなかったが、この年だけで4本塁打を記録している。また、7月27日の日本ハム戦では自身初の右方向への本塁打を、7月8日のロッテ戦と10月1日の楽天戦では決勝本塁打を記録している。オフには引退した鈴木郁洋に代わって選手会長に就任したが、1月25日に八木智哉・糸井嘉男との交換トレードで、木佐貫洋・赤田将吾と共に日本ハムに移籍した。背番号は糸井の7を受け継いだ。なお日本ハムおよびその前身球団の背番号7を内野手登録の選手が使用するのは西園寺昭夫(1957年 - 1966年)以来で、47年ぶりである。(大引啓次 フレッシュアイペディアより)
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