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    大江康弘から見た幸福の科学

    2010年4月、改革クラブより党名を変更した新党改革への参加を拒否し、離党。同年5月に宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党へ入党。同党国会対策委員長に就任するが、同年12月に幸福実現党を離党し、無所属となる。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た渡辺秀央

    2008年1月11日、臨時国会の参議院本会議で、政府提出の新テロ対策特別措置法案採決を欠席し、民主党提出の対案の採決の際には議場に戻って賛成した。また、道路特定財源の暫定税率廃止に反対し、同年1月23日、都道府県議会議員が主催する道路特定財源堅持集会に参加するなどしたため、民主党執行部から辞職勧告を受けたが、この処分を不服として、弁護士を通じ内容証明郵便を党本部に送った上で「比例代表選出の議員には、自分の意思や政治家としての独立性はないのか。(党方針に)反対するなら議席を返上せよなんて、いまだかつて聞いたことがない」と述べた。また、同年3月に任期を迎えた日本銀行総裁の次期総裁人事においても政府案に賛成し、同年4月の日銀副総裁人事でも渡辺秀央と共に民主党党方針(反対)に反して政府案に賛成。同年6月11日に民主党が提出した首相問責決議には「体調不良」を理由に欠席。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た山村明嗣

    2007年の第21回参議院議員通常選挙で大江は民主党の比例区から当選しているため、辞職により民主党の比例区候補が繰り上げ当選の対象となり、得票数順位第30位の元品川区議会議員山村明嗣が繰り上げ当選することとなった。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た玉置和郎

    和歌山県西牟婁郡白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、芦屋大学教育学部卒業後、玉置和郎の秘書を務める。1979年、和歌山県議会議員初当選、県議会議員を5期務める。県議時代は長らく自民党に所属する。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た荒井広幸

    以降は再度、自民党に接近した。なお、そのときまでに旧改革クラブの議員は(荒井広幸を除いて)みな引退(前述の渡辺秀央)、もしくは落選したかあるいは他党に移籍した。大江は2011年8月30日の参議院本会議における内閣総理大臣指名選挙では自民党の谷垣禎一総裁に票を投じた。その後、上記のように、任期満了までは自民党入党は不可能であるものの、無所属議員として自民党と統一会派「自民党・無所属の会」を結成した。2013年5月の議員辞職までは自民党籍を有しない状態で「自民党・無所属の会」のまま活動を続けた。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た政党交付金

    2010年4月23日、改革クラブが新党改革に党名を変更し、舛添要一が新代表に就任した。大江はこれを「政党交付金目当ての偽装新党」と批判し、同党から離党する。大江のことを無二の子分だと思ってきた渡辺秀央からは、離党に際して相当詰られたと伝えられる。同党は大江の他にも離脱者を出し、自民党との統一会派は解消した。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た2010年沖縄県知事選挙

    一人になった大江は、2010年5月11日に宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党への入党を表明し、同月14日付で入党し選挙対策本部長に就任する。幸福の科学には入信しないと述べ、実際に入信しなかった。同年12月27日、幸福実現党を離党する。同年11月の沖縄県知事選挙で、幸福実現党が独自候補を擁立したことに反発し、同月上旬に離党届を提出していたという。入党の翌日に選挙対策本部長の肩書きを外す等、入党前とは違う指示を受けたことをはじめ「政治の現場で経験を生かす」という事がほとんど受け入れられなかったことも離党の原因としている。また同年7月の第22回参議院議員通常選挙における幸福実現党の結果に、大江は党の見解とは異なり「惨敗」という評価を下していた。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た弁護士

    2008年1月11日、臨時国会の参議院本会議で、政府提出の新テロ対策特別措置法案採決を欠席し、民主党提出の対案の採決の際には議場に戻って賛成した。また、道路特定財源の暫定税率廃止に反対し、同年1月23日、都道府県議会議員が主催する道路特定財源堅持集会に参加するなどしたため、民主党執行部から辞職勧告を受けたが、この処分を不服として、弁護士を通じ内容証明郵便を党本部に送った上で「比例代表選出の議員には、自分の意思や政治家としての独立性はないのか。(党方針に)反対するなら議席を返上せよなんて、いまだかつて聞いたことがない」と述べた。また、同年3月に任期を迎えた日本銀行総裁の次期総裁人事においても政府案に賛成し、同年4月の日銀副総裁人事でも渡辺秀央と共に民主党党方針(反対)に反して政府案に賛成。同年6月11日に民主党が提出した首相問責決議には「体調不良」を理由に欠席。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た除名

    2008年8月28日、渡辺と共に民主党を離党し、新党・改革クラブ結成に参加。同年9月22日、大江ら改革クラブ議員は民主党から除籍処分を受ける。同年10月、大江は、地元の後援会における講演で「民主党は国家国益を考えず、選挙、政局一点張りで政権政党を担う党ではないと判断した」と離党理由を述べた。また、次期衆議院議員総選挙では二階俊博支持を表明。二階は2003年に自民党に復党し、自民党総務局長・自民党国会対策委員長・自民党総務会長・経済産業大臣などを歴任していた。改革クラブ所属議員たちは当時の与党・自民党への復帰・政権入りを念頭に置いており、明確な提携のないものの、自民党への協力姿勢が強かった。2009年3月6日、大江は、参議院予算委員会の質問に立つも、政府・自民党への忠誠を強調し、冒頭「忠実な紀州犬」を例にとって自民党・麻生内閣に尽くすことを表明した。同年8月の第45回衆議院議員総選挙で自民党が大敗し、下野したため政権入りの目的は達せられなかったが、改革クラブは自民党との提携を維持し、参議院で自民党と統一会派「自民党・改革クラブ」を結成した。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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    大江康弘から見た問責決議

    2008年1月11日、臨時国会の参議院本会議で、政府提出の新テロ対策特別措置法案採決を欠席し、民主党提出の対案の採決の際には議場に戻って賛成した。また、道路特定財源の暫定税率廃止に反対し、同年1月23日、都道府県議会議員が主催する道路特定財源堅持集会に参加するなどしたため、民主党執行部から辞職勧告を受けたが、この処分を不服として、弁護士を通じ内容証明郵便を党本部に送った上で「比例代表選出の議員には、自分の意思や政治家としての独立性はないのか。(党方針に)反対するなら議席を返上せよなんて、いまだかつて聞いたことがない」と述べた。また、同年3月に任期を迎えた日本銀行総裁の次期総裁人事においても政府案に賛成し、同年4月の日銀副総裁人事でも渡辺秀央と共に民主党党方針(反対)に反して政府案に賛成。同年6月11日に民主党が提出した首相問責決議には「体調不良」を理由に欠席。大江康弘 フレッシュアイペディアより)

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