394件中 81 - 90件表示
  • 皇司信秀

    皇司信秀から見た番付番付

    当初は右下手半身で寄る取り口で、特に大兵には体格で負けて勝ち味が遅く十両で低迷したが、立合いからの突き押しで離れて動き回る相撲が増えてからは強味を増して1999年9月場所に入幕を果たした。2001年7月場所には自己最高位の西前頭4枚目まで番付を上げ、2002年にかけて幕内に定着したものの、その後は次第に十両へ落ちることが多くなった。2005年11月場所には十両下位まで転落したが、そこから這い上がって、2006年1月場所は西十両4枚目で10勝5敗と大勝し、2005年3月場所以来1年ぶりの幕内復帰を果たしたが、4勝11敗と負け越して再び十両に陥落した。このように幕内では勝ち越せないが(新入幕以後、幕内での10度の勝ち越しはすべて8勝である)、十両では地力を見せつけ大勝することが多かった。幕内で2場所連続で負け越し、東十両筆頭で迎えた2007年3月場所には、11勝4敗で十両優勝次点の好成績を挙げている。しかし、10回目の入幕と史上3位の記録となった翌5月場所では、初日から10連敗してしまい4勝11敗だった。皇司信秀 フレッシュアイペディアより)

  • 若三藤成豊

    若三藤成豊から見た番付番付

    一旦怪我で番付を序ノ口下位まで番付を下げたが、復帰後は大きな体を生かした相撲で勝ち越しを続け、2004年1月場所に序二段上位で大勝ちして翌3月場所に三段目に昇進した。しかし新三段目の場所は負け越し、一場所で序二段に後退したが、翌5月場所は勝ち越して7月場所で三段目復帰してからは体を生かした積極的な相撲で三段目に定着し、2006年3月場所は三段目48枚目で5勝2敗の好成績を挙げて翌5月場所は三段目19枚目に番付を上げた。しかしその場所で3勝4敗と負け越してしまった。若三藤成豊 フレッシュアイペディアより)

  • 白龍山慶祐

    白龍山慶祐から見た番付番付

    「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。白龍山慶祐 フレッシュアイペディアより)

  • 大和剛

    大和剛から見た番付番付

    190cm近い身長を活かした突き押し相撲で着実に番付を上げて行った。初土俵から約4年たった1995年3月場所には十両に昇進した。十両でやや苦労したが、1997年1月場所には新入幕を果たした。立合いがやや遅かったものの突き押し相撲に磨きをかけ、幕内に定着した。大和剛 フレッシュアイペディアより)

  • 義ノ花成典

    義ノ花成典から見た番付番付

    故障もあり三段目でやや苦しんだが、着実に番付を上げて行き、1963年7月場所では初土俵から僅か4年ほどで十両に昇進。そして、1964年11月場所で新入幕を果たした。しかし、新入幕の場所で左膝を痛めた事もあり暫くは幕内下位に低迷し、一時は十両へ落ちていた。だが、1966年3月場所にて再入幕を果たすと勝ち越しを続け、同年11月場所では最高位となる東前頭筆頭まで番付を上げた。この場所では、6日目に栃ノ海から金星(なお栃ノ海は、この翌日に引退を発表)を獲得するなど健闘したが、6勝9敗と負け越してしまった。義ノ花成典 フレッシュアイペディアより)

  • 松翁 (行司)

    松翁 (行司)から見た番付番付

    名誉の尊号としては20代庄之助が最初で現在までただひとりとなっている。裁きの確かさ、土俵態度などの風格が見事だったので前例をひいて「松翁」の名乗りを許されたものでこの時には横綱免許と同様、吉田司家の裁可が仰がれた。当時の番付にも「松翁 木村庄之助」と記載された。松翁 (行司) フレッシュアイペディアより)

  • 錦洋幸治

    錦洋幸治から見た番付番付

    川崎の名で取っていた時期は十両に低迷していたが、大峩に改名した後は再び幕内上位へと進出。1975年7月場所では、3日目に北の湖から5年ぶりの金星を獲得し、復活を印象付けた。しかし間もなく、膝の故障や肝臓の病気などの影響で下位に逆戻りし、最後は幕下50枚目まで番付を落として1977年5月場所後に廃業した。廃業時の年齢は、27歳であった。錦洋幸治 フレッシュアイペディアより)

  • 玉輝山正則

    玉輝山正則から見た番付番付

    そのショックから、しばらくは幕下と十両を往復するなど低迷したが、後輩の玉ノ富士に番付で追いつかれてからは再度奮起した。玉輝山正則 フレッシュアイペディアより)

  • 大豪健嗣

    大豪健嗣から見た番付番付

    幕下までは順調に番付を上げたが、幕下上位で苦戦し出世が遅れた。1973年11月場所より弓取式を務め、十両に昇進した1975年3月場所でも弓取式を務めたことから、この1場所だけではあるが「関取による弓取式」として話題になった。大豪健嗣 フレッシュアイペディアより)

  • 出羽嵐大輔

    出羽嵐大輔から見た番付番付

    高校時代は柔道部に所属していた。進路に迷っていたところ、両国を紹介され、卒業後に出羽海部屋に入門。1989年(平成元年)3月場所に初土俵を踏んだ。腰の重さを生かした押し相撲で、着実に番付を上げて行った。出羽嵐大輔 フレッシュアイペディアより)

394件中 81 - 90件表示

「大相撲の番付」のニューストピックワード