424件中 91 - 100件表示
  • 番付

    番付から見た栃錦清隆

    1940年5月場所、東前頭12枚目の青葉山は7勝8敗と負け越しながら翌場所は西前頭4枚目と、落ちるどころか逆に8枚も昇進したという極端なケースがある。同じく1947年(昭和22年)6月場所、新入幕の西前頭18枚目栃錦(のち横綱)も4勝6敗(当時は10日制)と負け越した。当時は東西制で、この場所同じ西方の成績が悪かったため、西方上位力士が多数番付を下げたが、栃錦は翌11月場所で西前頭16枚目に番付を上げている。こういうのを俗に言う「番付運」で、東西制のためそうするより仕方が無かったと思われる。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た嵐山次郎

    1967年5月場所の番付は枚数削減を実施(幕内34人、十両26人、幕下は120人の定員)したため新入幕力士、新十両力士ともになし。3月場所、十両で勝ち越した安芸の國、前田川、嵐山は幕下へ陥落した。安芸の國は翌7月場所、再十両となり、嵐山も再十両ののち入幕を果たしたが、前田川は5月場所で負け越すとそのまま引退してしまった。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た小松山貞造

    1946年(昭和21年)11月場所は丸1年ぶりに行われた本場所だったが、横綱双葉山をはじめ、笠置山、玉ノ海、出羽湊、綾昇、若港、小松山、有明、葦葉山、肥州山、九州山、松ノ里、龍王山などが前年11月場所限りで大量に引退したため、幕内と十両で13名の力士が番付から消えた。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た不知火光右衛門

    東京相撲で「横綱」の文字が初めて番付上に記載された時期は1890年(明治23年)5月場所であるが、大坂相撲ではそれ以前の1868年(明治元年)7月場所のことで、陣幕久五郎(12代横綱)が東方欄外に「薩州 陣幕久五郎 横綱土俵入仕候」と記載された。本場所で「横綱」の文字を表した時期は大坂でこの頃が初めてである。これ以降、大坂相撲では「横綱土俵入仕候」の文字が番付上に記載されるようになり、不知火諾右衛門(光右衛門改め、11代横綱、1870年(明治3年)3月?1872年(明治5年)7月)、八陣信藏(1872年(明治5年)7月?1874年(明治7年)6月)、高越山谷五郎(1873年(明治6年)7月?1874年(明治7年)6月)の3例が挙げられる。「横綱土俵入仕候」の文字は江戸相撲の巡業番付には見られ、阿武松緑之助(6代横綱)、秀ノ山雷五郎(9代横綱)のものが確認されている。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た清國勝雄

    2008年3月場所の番付で新三役(小結)に昇進した豪風は、1964年3月場所の関脇清國以来44年ぶりの秋田県出身の新三役となった。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た生月鯨太左衛門

    1794年(寛政6年)11月場所の番付で、当時6歳の大童山が怪童という触れ込みで、西方前頭に張り出された。これ以降、怪童で番付に載ったのは嘉永年間(1848?1854年)の鬼若、鬼勝、大童子。安政年間(1854?1860年)には柏嶽、大纒、舞鶴がいる。他に巨人力士として、1844年(天保15年)10月場所の生月、1863年(文久3年)11月場所の皆瀬川がおり、いずれも前頭に張り出されている。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た豊桜俊昭

    2010年9月場所の番付で、賭博問題に関わり7月場所謹慎処分(全休扱い)となった幕内力士6人が十両陥落となったが、このうち雅山は1977年5月場所の大受以来33年ぶり史上2人目の元大関の十両陥落となった。入れ替わりに十両より9人(昭和以降では最多。新入幕は蒼国来(中国出身としては史上初)と旭南海の2人、再入幕将司ら7人)が入幕となった。新入幕の旭南海は7月場所十両西12枚目で10勝5敗(1888年1月場所、十両が地位として確立して以降、12枚目の位置から入幕するのは初めて)、再入幕の豊桜は同じく十両東11枚目で8勝7敗と、これも賭博問題の余波を受けたとはいえ番付編成の規定上においては幸運な幕内昇進となったが、豊桜と半枚差の西11枚目寶智山は同成績の8勝を挙げながら再入幕は見送られた。同じ再入幕の土佐ノ海(現立川)は38歳6ヵ月という、昭和以降では最年長の再入幕となった。またこの番付で外国出身力士が十両以上で24人、そのうち幕内では19人となり、ともに史上最多となった。逆に三役以上の日本出身力士が3人(大関魁皇、関脇栃煌山、小結稀勢の里)しかおらず、翌11月場所では稀勢の里が平幕に陥落したため、魁皇と栃煌山の2人となり史上最少となった。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た葦葉山七兵衛

    1946年(昭和21年)11月場所は丸1年ぶりに行われた本場所だったが、横綱双葉山をはじめ、笠置山、玉ノ海、出羽湊、綾昇、若港、小松山、有明、葦葉山、肥州山、九州山、松ノ里、龍王山などが前年11月場所限りで大量に引退したため、幕内と十両で13名の力士が番付から消えた。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た對馬洋弥吉

    1996年(平成8年)7月場所、新十両に昇進した出羽嵐は、1913年(大正2年)5月場所の對馬洋(のち大関)以来83年ぶり2人目の対馬出身の関取となった。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た梅ヶ谷藤太郎 (2代)

    1915年1月場所の番付は、西方に正横綱の太刀山、張出横綱の2代梅ヶ谷を据え、東方には横綱がいないという、現在にはない変則番付となった。同様の番付は翌1916年1月場所の太刀山(西方正横綱)、鳳(同張出横綱)、1921年(大正10年)1月場所の大錦(西方正横綱)、栃木山(同張出横綱)など(逆に東方のみに横綱を据えた番付もある)がある。大錦、栃木山の場合は同じ出羽ノ海部屋の力士であり、さらに当時は東西制のため2人を東西に分けることは出来ない。違う変則番付として1918年(大正7年)5月場所の番付で、四横綱(大錦、鳳、栃木山、2代西ノ海)のうち張出横綱2人(栃木山、2代西ノ海)が同じ東方に張り出された(相撲番付の歴史上、横綱2人が同じ方屋に張り出されたのはこの場所のみ)。また四大関(九州山、千葉ヶ嵜、伊勢ノ濱、2代朝潮)のうち張出大関2人(伊勢ノ濱、2代朝潮)は同じ西方に張り出されている番付 フレッシュアイペディアより)

424件中 91 - 100件表示

「大相撲の番付」のニューストピックワード