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    番付から見た武蔵丸光洋

    1971年1月場所千秋楽、1敗の西正横綱大鵬は結びの一番で全勝の東正横綱玉の海を破り、14勝1敗の相星として優勝決定戦でも玉の海を破って32回目の優勝を果たしたが、翌3月場所の番付も西正横綱(東正横綱は玉の海)のままだった。このように両横綱が相星の場合、前の場所の番付が優先されるが、最近では2009年1月場所と9月場所、決定戦で東横綱白鵬を破り優勝した西横綱朝青龍を翌3月場所及び翌11月場所では東横綱に据え、前場所の番付を優先せずに優勝力士を上位とした。同様な例として2001年(平成13年)1月場所、東横綱の貴乃花(同じ東正横綱ではあるが、番付上は曙が上位。3横綱の順位では貴乃花が最下位)と西横綱武蔵丸(現武蔵川)が決定戦を行い貴乃花が優勝し、翌場所の番付での横綱順位は貴乃花を最上位(東横綱)とした。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た昭和天皇

    1989年(平成元年)1月場所は1月7日、昭和天皇の崩御に伴い翌8日より元号が「平成(元年)」に変わった。初日開催は8日であったが中止とし翌9日に繰り下げて開催、前年(1988年(昭和63年))暮れに発表された番付には「昭和六十四年」のままであった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た垣添徹

    2011年4月1日、理事会で八百長関与力士の処分が決定され、幕内7人、十両10人が土俵を去ることになり、関取が17人も空くこととなった。審判部は全ての穴埋めをせず、幕内と十両で東西1人ずつ4人の関取を削減(70人から66人)することとしたため、5月技量審査場所後の同年5月25日に行われた7月場所番付編成会議では、1947年6月場所の12人を上回る戦後最多の新十両7人、再十両6人の計13人が十両昇進となった。このうち再十両の元小結垣添(幕下西筆頭、現雷)と新十両の荒鷲(幕下東3枚目)は共に3勝4敗の負け越しながら十両昇進(戦後では初めて)となった。同じく新十両の持丸改め飛天龍は幕下東10枚目の地位で4勝3敗だったが、やはり大量昇進の恩恵を受けた。さらに恩恵を受けた十両最下位(西14枚目)剣武も6勝9敗ながら昇進者が足りずに残留となった。ちなみに過去十両最下位で負け越しながら十両残留となった前例は、2004年5月場所の若光翔(西14枚目で7勝8敗)で翌場所も同地位だった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た輪島大士輪島 大士

    1972年7月場所で史上初めて5関脇(東輪島、西貴ノ花、東張出三重ノ海、西張出魁傑、東張出長谷川)の番付となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た土佐ノ海敏生

    2010年9月場所の番付で、賭博問題に関わり7月場所謹慎処分(全休扱い)となった幕内力士6人が十両陥落となったが、このうち雅山は1977年5月場所の大受以来33年ぶり史上2人目の元大関の十両陥落となった。入れ替わりに十両より9人(昭和以降では最多。新入幕は蒼国来(中国出身としては史上初)と旭南海の2人、再入幕将司ら7人)が入幕となった。新入幕の旭南海は7月場所十両西12枚目で10勝5敗(1888年1月場所、十両が地位として確立して以降、12枚目の位置から入幕するのは初めて)、再入幕の豊桜は同じく十両東11枚目で8勝7敗と、これも賭博問題の余波を受けたとはいえ番付編成の規定上においては幸運な幕内昇進となったが、豊桜と半枚差の西11枚目寶智山は同成績の8勝を挙げながら再入幕は見送られた。同じ再入幕の土佐ノ海(現立川)は38歳6ヵ月という、昭和以降では最年長の再入幕となった。またこの番付で外国出身力士が十両以上で24人、そのうち幕内では19人となり、ともに史上最多となった。逆に三役以上の日本出身力士が3人(大関魁皇、関脇栃煌山、小結稀勢の里)しかおらず、翌11月場所では稀勢の里が平幕に陥落したため、魁皇と栃煌山の2人となり史上最少となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た栃司哲史

    1960年7月場所、十両に陥落した東筆頭の羽子錦は9勝6敗の成績を上げながら再入幕できなかった。東筆頭で9勝を上げながら入幕できなかったのは羽子錦が史上ただ一人。十両西筆頭の地位で9勝を上げながら入幕できなかったのは、1987年(昭和62年)11月場所の大乃花、1990年5月場所の貴闘力、1991年(平成3年)3月場所の栃司(現入間川)がいる。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た朝青龍明徳

    2010年(平成22年)1月場所で25回目の優勝を果たした、西横綱朝青龍が同場所中の不祥事により、番付編成会議後の2月4日に突如引退を表明。翌3月場所の番付は東横綱に朝青龍の四股名が残る可能性があったが、番付発表まで約3週間の余裕があったために、敢えて四股名ごと削除することとなった(上述の1971年(昭和46年)10月に急死した横綱玉の海のケースと同様の扱い)。これに伴い、本来なら西横綱に載るはずだった白鵬の地位は、1月場所と同じく3月場所も東横綱に掲載され、番付編成会議後の引退届提出により番付が変動するという極めて異例の措置となった。その結果、2010年(平成22年)3月場所の新番付は白鵬が史上9人目の一人横綱となり、また一人横綱の番付は2007年(平成19年)5月場所の朝青龍以来17場所ぶり。ちなみに優勝した横綱が翌場所前の引退となると、1925年(大正14年)5月場所前に引退した栃木山(前場所まで3連覇)以来85年ぶりとなる。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た北勝力英樹

    また元関脇北勝力(現谷川)、元小結普天王をはじめ、ほか八百長関与21人(引退届提出者のみ、解雇された蒼国来と星風を除く)を含む58人の引退が発表されたが、過去では1932年1月の「春秋園事件」勃発後72人(のち復帰力士を含む)が協会を脱退、終戦直後の1945年11月(秋)場所前には応召による88人(のち復帰力士を含む)が離脱した前例がある。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た時津海正博

    2007年(平成19年)11月場所の番付で西前頭11枚目が空位となった。場所の直前(番付編成後)に時津海が引退して年寄時津風を襲名して時津風として番付に載ることとなり、番付上の重複を避けるために空位とした。これは幕内では1873年(明治6年)11月場所に、高砂浦五郎とそのグループ(改正組)を除名した際以来(前述のケースを除いて)で134年ぶりだった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た琴欧洲勝紀

    1936年(昭和11年)5月場所、双葉山は新関脇の場所で11戦全勝で優勝し、新大関昇進を決めた。新関脇の番付を1場所で新大関に昇進した例は、1918年5月場所の九州山(東西制による)、1939年(昭和14年)5月場所の羽黒山(11勝4敗)、1940年(昭和15年)5月場所の五ツ嶌(13勝2敗)がいる。このうち五ツ嶌の13勝は新関脇として最多の勝ち星(15日制以降)で、のち吉葉山(1950年(昭和25年)5月場所)、琴欧州(現琴欧洲、2005年(平成17年)9月場所)がこの記録に並んでいる。番付 フレッシュアイペディアより)

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