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    番付から見た大豊昌央

    1985年11月場所、右肩の怪我で三段目まで陥落した元小結大豊(現荒汐)は見事7戦全勝優勝したが、元三役が三段目の土俵に上がったのは、1938年(昭和13年)5月場所の出羽ヶ嶽以来47年ぶりで、三段目優勝となると史上初。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た武双山正士

    1999年(平成11年)3月場所、横綱曙が全休。横綱3代若乃花が10日目、横綱貴乃花が11日目にそれぞれ途中休場となり、終盤戦は横綱不在の土俵となった。番付に載った横綱が3人揃って休場するのは、1950年(昭和25年)1月場所の羽黒山(5?10日目)、東富士(3?6日目)、照國(4日目?千秋楽)以来49年ぶりだった。その上この場所は、大関千代大海(現佐ノ山)、関脇武双山(現藤島)が途中休場、関脇以上8人のうち5人が休場するという異常事態となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た隠岐の海歩

    2008年11月場所、幕下西筆頭の福岡は5勝2敗の好成績ながら新十両昇進を逃した。これは十両の下位で大きく負け越している力士が少なかったことと、幕下東10枚目で7戦全勝(幕下優勝)の琴国を協会の内規(幕下15枚目以内で7戦全勝した力士は十両に昇進させる)で優先的に昇進させたからである(この他幕下東筆頭の安壮富士が6勝1敗で再十両に)。幕下筆頭で5勝2敗の成績を挙げたにもかかわらず十両昇進が見送られたのは、1966年(昭和41年)9月場所の代官山以来である。その後福岡は幕下東筆頭で迎えた2009年1月場所で7戦全勝(幕下優勝)で十両昇進を果たし、1958年(昭和33年)9月場所の隠岐ノ島以来、51年ぶり2人目である隠岐島出身の新十両となり、四股名を「隠岐の海」に改名した。その後、2010年(平成22年)3月場所新入幕を果たし、1922年1月場所新入幕の若常陸、太刀ノ海以来88年ぶりの島根県出身の幕内力士となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た豪風旭

    2008年3月場所の番付で新三役(小結)に昇進した豪風は、1964年3月場所の関脇清國以来44年ぶりの秋田県出身の新三役となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た千代大海龍二

    1999年(平成11年)3月場所、横綱曙が全休。横綱3代若乃花が10日目、横綱貴乃花が11日目にそれぞれ途中休場となり、終盤戦は横綱不在の土俵となった。番付に載った横綱が3人揃って休場するのは、1950年(昭和25年)1月場所の羽黒山(5?10日目)、東富士(3?6日目)、照國(4日目?千秋楽)以来49年ぶりだった。その上この場所は、大関千代大海(現佐ノ山)、関脇武双山(現藤島)が途中休場、関脇以上8人のうち5人が休場するという異常事態となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た藤ノ川武雄

    1970年3月場所、東関脇の初代栃東は7勝8敗で翌場所東前頭筆頭に番付を下げた。1971年3月場所、同じ東関脇の陸奥嵐は4勝11敗ながら翌場所の番付は西前頭筆頭、同場所東小結の藤ノ川も5勝10敗で翌場所は東前頭2枚目だった。藤ノ川は過去にも番付面では恵まれており、1969年9月場所、西小結で5勝10敗の成績で翌場所の番付は西前頭2枚目。1970年11月場所にも西関脇で4勝11敗、翌場所は西前頭2枚目だった。他にも関脇・小結で大敗して翌場所番付面で恵まれた例として、1968年5月場所、東小結の若浪は2勝13敗で翌場所は西前頭4枚目。1971年1月場所、西関脇の長谷川は3勝12敗で翌場所は西前頭2枚目、また同じ東関脇の福の花に至っては9敗6休と1勝も上げられなかったが、翌場所は西前頭6枚目とかなり恵まれている。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た日馬富士公平

    2012年4月23日、5月場所の番付が発表され、関脇鶴竜の大関昇進に伴い、大相撲番付史上初の6大関となった(同年9月場所まで。9月場所後、日馬富士が横綱に昇進)。また新入幕の皇風は、1935年5月場所新入幕の元関脇・笠置山以来77年ぶりの早大出身の幕内力士となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た栃煌山雄一郎

    2010年9月場所の番付で、賭博問題に関わり7月場所謹慎処分(全休扱い)となった幕内力士6人が十両陥落となったが、このうち雅山は1977年5月場所の大受以来33年ぶり史上2人目の元大関の十両陥落となった。入れ替わりに十両より9人(昭和以降では最多。新入幕は蒼国来(中国出身としては史上初)と旭南海の2人、再入幕将司ら7人)が入幕となった。新入幕の旭南海は7月場所十両西12枚目で10勝5敗(1888年1月場所、十両が地位として確立して以降、12枚目の位置から入幕するのは初めて)、再入幕の豊桜は同じく十両東11枚目で8勝7敗と、これも賭博問題の余波を受けたとはいえ番付編成の規定上においては幸運な幕内昇進となったが、豊桜と半枚差の西11枚目寶智山は同成績の8勝を挙げながら再入幕は見送られた。同じ再入幕の土佐ノ海(現立川)は38歳6ヵ月という、昭和以降では最年長の再入幕となった。またこの番付で外国出身力士が十両以上で24人、そのうち幕内では19人となり、ともに史上最多となった。逆に三役以上の日本出身力士が3人(大関魁皇、関脇栃煌山、小結稀勢の里)しかおらず、翌11月場所では稀勢の里が平幕に陥落したため、魁皇と栃煌山の2人となり史上最少となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た高見盛精彦

    2011年6月27日、同年1月場所以来の本場所開催となる7月場所の新番付が発表となったが、幕内には5人、十両には戦後最多の13人の昇進となった。このうち5月技量審査場所、幕内で負け越した高見盛(前頭15枚目、現振分)と木村山(同17枚目)はともに7勝8敗の負け越しながら、それぞれ14枚目、15枚目と番付を上げた。同様の前例(幕内)としては1967年7月場所の清國、陸奥嵐、大雄以来44年ぶり。栃乃洋(同14枚目、現竹縄)も6勝9敗の成績ながら番付が下がらず同じ地位だった。新入幕では?安が「平成生まれ」初の幕内力士となった。また異例ずくめの番付となった十両では、黒海、佐田の海、佐田の富士、城ノ龍、益荒海の5人は、いずれも5勝10敗の成績ながら番付を上げている。幕内から十両及び十両から幕下への陥落者が無かったのは、毎場所番付が発行されるようになった1933年1月場所以来初めて。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た白露山佑太

    また、2008年(平成20年)9月場所の番付では、前の7月場所後の番付編成で東前頭8枚目に据えられた若ノ鵬が8月21日付で解雇されたため同地位が空位となった。高砂除名組のときは該当者が墨で塗りつぶされたが、時津海、若ノ鵬の際には空白となった。なお同年9月8日付で解雇された露鵬・白露山の2力士は番付発表後の解雇だったこともあり9月場所の番付には名前が残っている(ただし同年9月14日付の番付では空白となっている)。2009年(平成21年)3月場所の番付では若麒麟が2月2日付で解雇されたため、西十両筆頭が空位となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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