424件中 61 - 70件表示
  • 番付

    番付から見た羽黒山政司

    1936年(昭和11年)5月場所、双葉山は新関脇の場所で11戦全勝で優勝し、新大関昇進を決めた。新関脇の番付を1場所で新大関に昇進した例は、1918年5月場所の九州山(東西制による)、1939年(昭和14年)5月場所の羽黒山(11勝4敗)、1940年(昭和15年)5月場所の五ツ嶌(13勝2敗)がいる。このうち五ツ嶌の13勝は新関脇として最多の勝ち星(15日制以降)で、のち吉葉山(1950年(昭和25年)5月場所)、琴欧州(現琴欧洲、2005年(平成17年)9月場所)がこの記録に並んでいる。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た出羽湊利吉

    1957年(昭和32年)以前に部屋単位、またはいくつかの部屋の合同など、小集団の巡業を行うときは「巡業番付」が作られる1(1879年(明治12年)?1881年(明治14年)頃の巡業番付、14代横綱境川浪右エ門の名がある。横綱、大関など上位力士がいない場合は、その中の一番上位の力士を大関に据えるようにした。1939年(昭和14年)5月に角界一の大部屋、出羽海一門で巡業が行われ、その時作られた巡業番付には鏡岩のほかに、1月場所で優勝した出羽湊が大関に据えられている。現在では協会全体で巡業が行われるため巡業番付は作られない。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た飛天龍貴信

    2000年9月場所後、序二段力士持丸は四股名を「挑持丸(ちょうじまる)」と改名する旨届け出たが、番付には「桃持丸」と誤記され(読みはちょうじまる)、それを正式名として一場所を勤めた。翌11月場所終了後に再び改名届けを出し2001年1月場所から改めて「挑持丸」となった。この一場所限りの改名は誤記によるものとはいえ正式に協会の記録として残っている。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た能代潟錦作

    東が西よりも格上とみなされるようになったきっかけは、1890年(明治23年)に横綱免許をうけた大関初代西ノ海(16代横綱)が、張出大関になることに不満をもらしたため、これをなだめるために同年5月場所で番付にはじめて「横綱」の文字をいれ、東に張出の形式で配置したころからのことである。1909年(明治42年)6月場所の東西制実施のときに、優勝した方屋を翌場所東に配置したことで、東が半枚上ということが確定して、現在に至っている。ただし春秋園事件に際して発行された改定番付(1932年(昭和7年)2月場所)では大関3人(東方に玉錦と能代潟、西方に武藏山)で張出をつくらなかったために、幕内では「関脇以下は西が上位」とされていたため東方上位が完全に確定した時期はこれ以降である。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た鳳谷五郎 (横綱)

    1915年1月場所の番付は、西方に正横綱の太刀山、張出横綱の2代梅ヶ谷を据え、東方には横綱がいないという、現在にはない変則番付となった。同様の番付は翌1916年1月場所の太刀山(西方正横綱)、(同張出横綱)、1921年(大正10年)1月場所の大錦(西方正横綱)、栃木山(同張出横綱)など(逆に東方のみに横綱を据えた番付もある)がある。大錦、栃木山の場合は同じ出羽ノ海部屋の力士であり、さらに当時は東西制のため2人を東西に分けることは出来ない。違う変則番付として1918年(大正7年)5月場所の番付で、四横綱(大錦、鳳、栃木山、2代西ノ海)のうち張出横綱2人(栃木山、2代西ノ海)が同じ東方に張り出された(相撲番付の歴史上、横綱2人が同じ方屋に張り出されたのはこの場所のみ)。また四大関(九州山、千葉ヶ嵜、伊勢ノ濱、2代朝潮)のうち張出大関2人(伊勢ノ濱、2代朝潮)は同じ西方に張り出されている番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た大豪久照

    1960年7月場所後に興行された、秋田県大館巡業において作られた板番付には、東方張出大関の柏戸は枠外に書かれているのに、同じ東方で枠内に書かれている関脇の若三杉(のち大豪)は、普通なら東の正関脇のはずが何故か「関脇」の文字の上部に、小さく「張出し」と書かれている。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た式守伊之助 (26代)

    6代木村庄二郎(1982年11月場所?1984年11月場所)番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た木村庄之助 (24代)

    5代式守鬼一郎(初代式守伊三郎時代?1951年9月場所)番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た鏡岩善四郎

    1957年(昭和32年)以前に部屋単位、またはいくつかの部屋の合同など、小集団の巡業を行うときは「巡業番付」が作られる1(1879年(明治12年)?1881年(明治14年)頃の巡業番付、14代横綱境川浪右エ門の名がある。横綱、大関など上位力士がいない場合は、その中の一番上位の力士を大関に据えるようにした。1939年(昭和14年)5月に角界一の大部屋、出羽海一門で巡業が行われ、その時作られた巡業番付には鏡岩のほかに、1月場所で優勝した出羽湊が大関に据えられている。現在では協会全体で巡業が行われるため巡業番付は作られない。番付 フレッシュアイペディアより)

  • 番付

    番付から見た武州山隆士

    1992年(平成4年)1月場所、幕下付出で初土俵を踏んだ大日ノ出は右膝の故障で苦しみ、30場所かかって十両に昇進。これは幕下付出力士の最長昇進記録となった。また入幕するまで43場所かかったが、こちらは2008年11月場所で武州山(現小野川)が59場所かかって昇進しこれを更新している。番付 フレッシュアイペディアより)

424件中 61 - 70件表示

「大相撲の番付」のニューストピックワード