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    番付から見た木村庄之助 (36代)

    江戸時代中期の元禄年間(1688?1703年)には、歌舞伎、寄席、相撲の看板はいずれも御家流(青蓮院流、尊円流ともいい尊円法親王の書法を伝えたもの)の文字で肉太に記されていた。1757年(宝暦7年)の江戸最初の番付もそれで書かれているが、寛政年間(1789?1800年)には現在の番付の原型にほぼ落ち着いている。以降、幕末から明治にかけて横棒(横画)の運筆が太くなるなど、歌舞伎(勘亭流)や寄席(寄席文字)の番付とは一線を画するようになった。その名を番付の版元根岸家(江戸時代の三河屋)にちなみ「根岸流」と呼ばれ、現在では主に「相撲字」と呼ばれる独特な書体で書かれる。「高」の字をはしご高(髙)で書くことがあったり、バランスをとるために〈木へん〉をかんむりのように書く(松→枩などのように、同様に「梅」の字も「木」の下に「毎」を書くことがある)ような、本来の正確な四股名とは異なることがあるので注意が必要である。横綱が一番大きく書かれ、以下大関、関脇と地位が下がるにつれ小さく(細く)書かれるようになっていき、序ノ口の力士になるともはや虫眼鏡が無ければ読めないほどである。現在番付を書いているのは戦後7人目となる幕内格行司木村恵之助で、2007年11月場所から前任の10代式守勘太夫(現36代庄之助)より受け継いでいる。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た笠置山勝一

    1946年(昭和21年)11月場所は丸1年ぶりに行われた本場所だったが、横綱双葉山をはじめ、笠置山、玉ノ海、出羽湊、綾昇、若港、小松山、有明、葦葉山、肥州山、九州山、松ノ里、龍王山などが前年11月場所限りで大量に引退したため、幕内と十両で13名の力士が番付から消えた。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た東富士欽壹

    1947年6月場所の番付で、十両を1場所で新入幕を果たした岩平は本名のまま土俵に上がったが、本名のままの幕内力士第1号だった。翌11月場所「若葉山」と改名した。また、この場所の番付で史上初めて5大関(佐賀ノ花、前田山、名寄岩、東富士、汐ノ海)となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た日本相撲協会

    もともとは、興行の場所に、板に記されて掲示されることにより、今回の興行に出場する力士の名前と序列を明らかにすることが目的であった。古番付が基本的に写本の形式で伝承されているのはそのためである。しかし、興行の規模が拡大し、広く告知する必要が生じたために、木版印刷の形式で番付を発行(享保年間(1716?1735年)に木版印刷となる)し、直接相撲場に行く前に、興行の概要を知ることができるようにした。現在でもこの流れを継いで、行司による毛筆書きを写真製版して印刷している。江戸の相撲では、現在宝暦年間(1755年頃)以来の印刷された番付が確認されている。日本相撲協会によれば、1757年(宝暦7年)に縦一枚形式の番付が初めて発行され、2007年(平成19年)は発行250周年にあたるという。大坂相撲では、1869年(明治2年)3月場所より江戸時代からの横東西二枚番付を、初めて縦一枚番付の江戸風に改めて発行した。古番付の記録として最古のものは、1699年(元禄12年)5月に京都岡崎天王社において勧進相撲が興行された時のもので、三役の名称もこの番付が初見である。大坂で最古の番付は1702年(元禄15年)4月、大坂堀江勧進相撲公許興行の時のもので、以後享保年間の頃より大坂・京都番付を多くみる。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た糖尿病

    1980年9月場所5日目より幕内格行司木村筆之助が糖尿病により長期の病気休場となった。取組中力士と接触したり、勝負が決まる前に転倒するなど失態が多かった。晩年の1984年(昭和59年)1月場所より“別格扱い”となり、番付の行司欄最下位に記載されるようになり、土俵に復帰することなく同年5月場所前に亡くなった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た出羽錦忠雄

    1956年(昭和31年)3月場所の番付は1918年1月場所以来38年ぶりに、横綱・大関・関脇・小結・前頭に張出(横綱?栃錦、千代の山、大関?松登、関脇?羽嶋山、小結?鶴ヶ嶺、前頭?星甲)がある番付となった。翌5月場所も同様(横綱?鏡里、千代の山、大関?松登、関脇?出羽錦、小結?羽嶋山、前頭?二瀬山)に各地位に張出がある番付となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た汐ノ海運右エ門

    1947年6月場所の番付で、十両を1場所で新入幕を果たした岩平は本名のまま土俵に上がったが、本名のままの幕内力士第1号だった。翌11月場所「若葉山」と改名した。また、この場所の番付で史上初めて5大関(佐賀ノ花、前田山、名寄岩、東富士、汐ノ海)となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た式守伊之助 (19代)

    1951年(昭和26年)5月場所の番付編成で、三役格行司の8代木村庄三郎(のち19代式守伊之助)を新設された副立行司に昇格させ、立行司の13代木村玉之助が同じ副立行司に格下げとなった。同年9月場所にも三役格行司2代木村正直(のち23代木村庄之助)が副立行司に昇格となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た貴ノ花利彰

    1972年7月場所で史上初めて5関脇(東輪島、西貴ノ花、東張出三重ノ海、西張出魁傑、東張出長谷川)の番付となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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    番付から見た嵐立磨

    2011年11月場所の番付編成会議が9月28日に行われ、4名の十両昇進(新十両3名、再十両1名)が発表されたが、そのうち新十両の勢は1997年11月場所新十両の以来、14年ぶりの一文字四股名の関取となった。その後2012年(平成24年)3月場所で新入幕を果たし、1990年9月場所新入幕の曙以来22年ぶりの一文字四股名の幕内力士となった。番付 フレッシュアイペディアより)

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