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大相撲から見た土俵
『相撲傳書』によると、この頃は土俵はなく「人方屋」という見物人が直径7 - 9m(4 - 5間)の人間の輪を作り、その中で取組が行われた。17世紀半ばには格闘技のリングのように柱の下へ紐などで囲った場所で行われた。それが後に俵で囲んだ四角い土俵になった。次に1670年頃に土俵の四隅に四神を表す4色の布を巻いた柱を立て、屋根を支えた方屋の下に五斗俵による3.94m(13尺)の丸い土俵が設けられた。18世紀始めに俵を2分の1にし地中に半分に埋めた一重土俵ができた。これに外円をつけて二重土俵(これは「蛇の目土俵」とも言う)となった。これは内円に16俵、外円に20俵用いることから「36俵」と呼ばれた。(大相撲 フレッシュアイペディアより)
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