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大阪維新の会から見た日本維新の会 (2016-)
大阪維新の会(おおさかいしんのかい)は、大阪府に基盤を置く、日本の政治団体(地域政党)。日本維新の会の都道府県総支部の一つ(大阪府総支部)。代表は大阪府知事の松井一郎。(大阪維新の会 フレッシュアイペディアより)
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大阪維新の会から見た浅田均
2010年(平成22年)に入って各政党で繋がりのある議員への引き抜きや参加打診、議員候補の人材確保など設立に向けた動きを本格させる。2月には、二重行政の象徴ともいえる「府市水道事業統合」に頓挫、平松邦夫市長との蜜月時代も終焉を見せる。ねじれ状況を打破すべく地域政党設立を決意。「府」をなくすより「市」をなくす方が先決と大阪都構想の実現へ大きく舵を切る。同年4月1日に、大阪府議会で府議会議員22名と会派「大阪維新の会大阪府議会議員団」を設立。中心は府議の浅田均、市議の坂井良和であった。これを母体に同年4月19日、8名の府議会議員を加えて政治団体として地域政党「大阪維新の会」を創設し、橋下は代表に就任した。(大阪維新の会 フレッシュアイペディアより)
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大阪維新の会から見た日本維新の会 (2012-2014)
2011年(平成23年)4月に、大阪維新の会が「大阪春の陣」と呼称した第17回統一地方選挙では、大阪府議選と大阪市議選と堺市議選を重点として議席過半数を目指して候補者を擁立した。その結果、各選挙区で勝利して、大阪府議会では単独過半数、大阪市議会と堺市議会では議会第1党となった。その後も大阪府内の市長選挙(吹田市長選挙・守口市長選挙・茨木市長選挙)で公認候補又は推薦候補が勝利、同年秋に大阪維新の会が重視した大阪府知事選挙と大阪市長選挙でも公認候補が勝利するなど、大阪府内の選挙で勝利し続けていた。2012年(平成24年)10月に国政に進出する全国政党として日本維新の会を設立。(大阪維新の会 フレッシュアイペディアより)
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大阪維新の会から見た藤井聡
2015年(平成27年)10月16日 - 朝日放送にてコメンテーターを務める藤井聡の出演が、政治的公平性の求められる放送法に違反するとして、BPO(放送倫理・番組向上機構)に審議を申し立てた。大阪維新の会は審議申し立てと共に藤井聡が2015年大阪府知事選挙、2015年大阪市長選挙に出馬予定の栗原貴子、柳本顕などに送信したメールを公開。そのメールには、番組で使用するパネルを変更させたことや、両氏へのアドバイスが書かれていた。同月17日、藤井聡はメールを自身が送信したと認めたうえで「私信であるメールを公開されただけでも遺憾だが、一体、どういった経緯で入手したのか。公党による窃盗の疑義すらある」と不快感を示した。大阪維新の会は、メールは信頼し得る者から入手したと述べている。(大阪維新の会 フレッシュアイペディアより)
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大阪維新の会から見た福山哲郎
2017年(平成29年)9月24日 - 堺市市長選挙では、現職竹山修身市長が3月に立候補を表明する中、大阪維新の会は候補者調整に難航し、最終的に永藤英機元大阪府議を擁立した。「連敗は許されない」として、党代表の松井一郎府知事が選対本部長に名乗り出て、大阪維新の会・日本維新の会所属のすべてに協力を呼び掛けた。これに対し、自民党と民進党、社民党、日本のこころの4党が竹山修身を推薦。竹山陣営には自民党からは石破茂元幹事長や中谷元元防衛大臣、民進党からは辻元清美衆議院議員、枝野幸男衆議院議員、福山哲郎参議院議員らが応援にかけつける異例の選挙戦となり、共産党も党を挙げて竹山氏を自主支援した。一方、時間と知名度不足の永藤英機はマニフェストに都構想を盛り込まず、議論もしないという立場をとった。前回に続き、反「維新」を掲げるた現職の竹山修身が再選。約2万票差と前回より票差を縮めたが、堺市長選挙で連敗を喫することとなった。また同時に行われた補欠選挙では、自民党と民進党・共産党が別々の候補を擁立する中、府議補選(堺区)、市議補選(南区)ともに、大阪維新の会が勝利している。(大阪維新の会 フレッシュアイペディアより)