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プロレス四天王から見た天山広吉
元々2002年頃から棚橋、中邑、柴田勝頼の三人が「新・闘魂三銃士」として売り出されたがあまり定着しないまま柴田が退団し、後に天山広吉追放後のG・B・Hリーダーとして新日本の内外で暴れ回る真壁、2008年のG1 CLIMAXで初出場・初優勝を果たし注目を集めた後藤を加えた四人が「四天王」と呼ばれるようになり、徐々に定着している。ポスターや会場タペストリーもこの4人が飾る事が多かったが、2012年に入りオカダ・カズチカがIWGP初挑戦・初戴冠を皮切りに急激に頭角を現した事により、この年の下半期より後藤に変わってオカダがラインナップされることに。但し、これをもって四天王と呼ばれる事はほぼ無い。(プロレス四天王 フレッシュアイペディアより)
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nWoジャパンから見た天山広吉
1996年7月に、WCWにてハルク・ホーガン、スコット・ホール、ケビン・ナッシュによりnWoが結成される。同年12月にWCW参戦中であった蝶野正洋が、マネージャーのサニー・オノオを裏切りnWoに加盟する。1997年に入り、蝶野はまずスコット・ノートンと合体。nWo自主興行に参戦した後、共に狼群団として活動していたヒロ斎藤、天山広吉 と結託し、nWo JAPANとして本格的に活動を開始する。その後蝶野は武藤敬司のnWo入りを画策、ある時はnWo Tシャツを渡して誘ったり、またある時は背中に黒いスプレーでnWoの文字を書き殴って挑発したりして、手を変え品を変え武藤の引き込みを図った。そして5月に行われた新日本プロレス大阪ドーム大会では、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールらのオリジナルメンバー、nWoの仕掛け人エリック・ビショフが参戦し、新日本正規軍を圧倒。さらに数週間後に、WCWのリングでグレート・ムタが正式に加入し、念願のムタ(=武藤)を仲間に引き入れたnWoジャパンは、一大勢力として新日本プロレスを席巻していくことになる。(nWoジャパン フレッシュアイペディアより)