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AKIRA (プロレスラー)から見た天山広吉
タモリ倶楽部 さよなら20世紀SPECIAL 「新幹線各駅停車うどんつゆの旅」(2000年12月22日、テレビ朝日): 天山広吉と共に出演。東海道新幹線の駅のうどんつゆの色はどこから関西風に変わるのか検証する回のゲスト。(AKIRA (プロレスラー) フレッシュアイペディアより)
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菊田早苗から見た天山広吉
一時期、雑誌「紙のプロレス」におけるインタビューで、「天山広吉・小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラーやプロレスを貶める発言を連発し、高田道場やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間ではあるが、UWFインターナショナルや新日本プロレスに入門した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったことによる。後に、PRIDE.20で前述の経緯などから菊田に対して強い嫌悪感を持つアレクサンダー大塚との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはありますが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っています」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。2015年3月24日、真夜中のハーリー&レイスに出演した際、菊田自身が、新日本プロレス道場での顛末を語っており、明大柔道つながりで坂口征二の伝手で入門したこと、教官であった馳浩にクビを宣告されたこと、そして同期入門で唯一人デビューを果たした小島を尊敬していることを明かした。2017年2月24日に収録された『KAMINOGE』の座談会でも新日本プロレスでの出来事やプロレスに関する発言などについて同様のことを話しており、kamiproで言いたかったことは天山と小島への批判ではなく武藤敬司とペドロ・オタービオの試合への批判であり、字数オーバーした原稿をゲラチェックに出して校正で大幅に削るというライターの阿修羅チョロの悪い癖が原因であったことを明かした。(菊田早苗 フレッシュアイペディアより)
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KAI (プロレスラー)から見た天山広吉
8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4」を結成し活動して行くことを宣言した。(KAI (プロレスラー) フレッシュアイペディアより)
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TEAM 2000から見た天山広吉
2000年に蝶野対武藤の頂上決戦で蝶野が勝利、nWoジャパンは消滅することになった。TEAM 2000は天山広吉、小島聡らnWoジャパンの残存勢力を吸収し、さらに後藤達俊、小原道由の捨て犬コンビも加入し一大勢力を築き、以降は次々とメンバーを増殖しつつ本隊、G-EGGS、BATTなどと抗争を展開するが、2002年に武藤・小島らの全日本への移籍事件を機にアントニオ猪木の裁定で蝶野が本隊と共闘する道を選び、また現場の最高責任者にも就任することになり、自然消滅した(なおこの猪木とのやり取りはバラエティ番組「アメトーーク」内で、くりぃむしちゅーの有田哲平から「踊る!猪木御殿」と名付けられた)。(TEAM 2000 フレッシュアイペディアより)
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全日本プロレス中継から見た天山広吉
本番組終了並びに大量離脱後における全日本プロレスの地上波中継は、テレビ朝日で2001年6月24日に「全日本プロレス中継」(関東ローカル)が、テレビ東京で2004年4月から2005年3月まで『プロレスLOVE 夜のシャイニング・インパクト』が、千葉テレビで2007年4月から2013年12月まで『全日本プロレス マザー』がそれぞれ放送された。テレビ朝日での放送は通常のワールドプロレスリングに続けて放送され、三冠ヘビー級選手権「王者天龍源一郎vs挑戦者武藤敬司」、川田利明vs天山広吉のシングルマッチが放送された。後の2番組は本番組とは異なりテレビ東京・千葉テレビは制作には関与せず、映像はGAORAやFIGHTING TV サムライから提供を受け、全日本プロレスによる番販(持ち込み)方式を取っていた。(全日本プロレス中継 フレッシュアイペディアより)