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天橋立から見た野田川 (京都府)
砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。成形の過程は、宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積したことによるものである。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。この松は、人の手により植林されたものではなく、大部分が自然発生的に生えたものである。天然の道ともいえる天橋立には、「日本の道100選」にも選定された京都府道天の橋立線が走っており、主に観光の散策路となっている。(天橋立 フレッシュアイペディアより)
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天橋立から見た与謝天橋立インターチェンジ
最寄りのインターチェンジ (IC) は、京都縦貫自動車道の宮津天橋立ICと宮津与謝道路の与謝天橋立ICである。天橋立南側(智恩寺側)へは宮津天橋立ICから国道176号と京都府道2号を使う。天橋立北側(傘松公園側)へは与謝天橋立ICを降りたあと、国道176号・国道178号を使い、北上する。駐車場は大方有料である。(天橋立 フレッシュアイペディアより)
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天橋立から見た若狭湾国定公園
古代より奇勝・名勝として知られ、一例として平安時代の百人一首の小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」が詠まれている。今日広く知られている天橋立を松島、宮島と並び称した『日本三景』という語句の文献的初見は、1689年(元禄2年)に刊行された貝原益軒の著書『己巳紀行』において、天橋立について記された箇所とされている。第二次世界大戦後は1952年(昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定、3年後の1955年6月1日に若狭湾国定公園の指定区域となった。現在は2007年8月3日に新設された丹後天橋立大江山国定公園の指定区域となっている。(天橋立 フレッシュアイペディアより)