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戦時猛獣処分から見た大阪市立動物園
その後、1944年(昭和19年)前半から、日本各地の他の動物園でも本格的に戦時猛獣処分が行われた。1944年3月に宝塚動植物園、大阪市立動物園(10種25頭処分)、京都市動物園(13頭処分)が実施したほか、仙台市立動物園や福岡市記念動物園(6月6日)も続いた。愛知県の東山動物園では、1943年10月-11月にライオン2頭(うち1頭は試射用)とクマ1頭だけは軍の要請を受けた市長の指示によって殺処分されたが、残りの多くは立地条件の良さや北王英一園長など当時の園関係者の努力と懇願によって猛獣飼育が続けられた。しかし、警備に協力する猟友会からは激しく非難されていた。その東山動物園でも、1944年12月13日の名古屋空襲に至り、「内務省からも射殺命令が出た」とする猟友会からの強硬な要請を受けて、ついにライオン2頭・ヒョウ2頭・トラ1頭・クマ2頭を銃殺した。数日後にも、残るクマ8頭が処分された。動物園以外のサーカスなどで飼育されていた猛獣に関しても、ひと足早く1943年10月には警視庁から処分命令が出され、ライオン52頭などが処分対象となった。(戦時猛獣処分 フレッシュアイペディアより)
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ニホンアシカから見た大阪市天王寺動物園
剥製は、長年他の種類のアシカやトドと思われていたり、剥製の存在自体が忘れ去られていたが、1990年代以降に相次いで所蔵されていることや種類がニホンアシカであることが判明している。現存数は全世界で約10〜15体とみられている。1886年(明治19年)2月に島根県松江市美保関町で捕獲され、以来島根師範学校から島根大学に保管されていた剥製が、1991年(平成3年)に井上貴央による調査・鑑定でニホンアシカと判明し、それが契機になり、大阪市天王寺動物園の6体のアシカの剥製も竹島で捕獲され、戦前に同園で飼われていたニホンアシカのものであることが判明した。その中には竹島で恐れられたリャンコ大王と呼ばれる巨大な雄の個体の剥製も含まれていた。1993年(平成5年)から1998年(平成10年)にかけて島根県立三瓶自然館や井上貴央などの調査・鑑定で、島根県の出雲高校、大社高校、松江北高校でもニホンアシカの剥製(1905年竹島産)が所蔵されていることが確認された。2006年(平成18年)11月3日 - 5日に大阪市天王寺動物園で行われた「絶滅の危機にある動物展」で、保存されている剥製が初めて一般公開された。また、当時の生態を伝える10点ほどの写真があるほか、1992年(平成4年)には米子市の民家で、1940年(昭和15年)に竹島で撮影された貴重な映像(8ミリフィルム)が発見され、ニホンアシカの生き生きとした姿が収められていた。また、戦後まもない1948年のニュース映画に大阪淀川に迷入したアシカの映像が残されている。(ニホンアシカ フレッシュアイペディアより)
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甲府市遊亀公園附属動物園から見た大阪市天王寺動物園
1919年(大正8年)に恩賜上野動物園(東京都)、京都市動物園(京都府)、大阪市天王寺動物園(大阪府)に次いで日本で4番目に開業。(甲府市遊亀公園附属動物園 フレッシュアイペディアより)