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奈良公園から見た堺県
都市公園としての奈良公園の始まりは堺県時代の1880年(明治13年)で、この年、当時官有地であった興福寺境内を公園とした(面積14ヘクタール)。その後、堺県が大阪府に編入され、大阪府から奈良県が分離独立したのち、新生奈良県の初代県知事であった税所篤(元・堺県令)の公園地拡張工事の上申を受け、1889年(明治22年)には、東大寺境内、春日野、若草山などの山間部を編入し、面積は535ヘクタールとなった。1949年から1951年(昭和24 - 26年)に寺院境内地の公園指定が解除され、面積は500ヘクタールに減少。1960年(昭和35年)、都市公園法に基づく「奈良公園」としてあらためて告示され、指定面積は502ヘクタールとなった。(奈良公園 フレッシュアイペディアより)
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