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大和の古道から見た吉野
中ツ道は、上ツ道と下ツ道の間約2.1kmの所を平行して通り、橿原市の天香具山北麓から奈良市北之庄町に至る直線道である。道筋は現在の奈良県道51号天理環状線と概ね合致・平行している。南は藤原京の東京極をなし、北ではのちの平城京の東京極となった。更に南は香具山を迂回し橘寺へ至るため、近世は橘街道と呼ばれた。中ツ道また飛鳥の中心部を通っている。南の延長線上に「ミハ山」があり、『万葉集』 (13-3230) にも詠まれている。その「ミワ山」が「神名火山」で、「神岳」である吉野に通ずる道しるべであるかも知れない。更に南下すれば芋峠を経て吉野に至る。近江朝廷を脱出した大海人皇子は、この中ッ道を通って吉野の嶋宮に入ったと推測されている。(大和の古道 フレッシュアイペディアより)
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岩橋山から見た吉野
岩橋山は、明神山や二上山、葛城山や金剛山などとともに金剛山地を構成している峰の一つであり、大阪府山岳連盟が制定した大阪50山に入っている。場所は竹ノ内峠の南にあり、山頂は大阪府南河内郡河南町と奈良県葛城市にまたがっている。府県境上を縦走するように走るダイヤモンドトレールが、山頂を通過している為、二上山や葛城山と合わせて縦走する人も多い。役行者が、地元の御所市に鎮座する一言主神をはじめとする、日本の神々に命じて、奈良県の吉野地方にある金峰山まで、岩の橋を架けようとしたという伝説が伝えられている事から、岩橋山という名前がついたとされている。(岩橋山 フレッシュアイペディアより)