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ロケットから見たコングリーヴ・ロケット
1792年にはインドのマイソール王国の支配者ティプー・スルターンによって対英国、東インド会社とのマイソール戦争で鉄製のロケットが効果的に使用された(→)。マイソール戦争終結後、このロケットに興味を持った英国は改良を加え、19世紀初頭までにコングリーヴ・ロケットを開発した。開発の中心人物はであった。(ロケット フレッシュアイペディアより)
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ロケットから見た冷戦
ナチス・ドイツの崩壊前後、V2の開発に関わった人材の多くがアメリカに亡命した(ペーパークリップ作戦)。またこの混乱期にソ連もV2の技術を接収していた。冷戦に入り、1958年にソ連がスプートニクロケットによって世界初の人工衛星を打ち上げたことでスプートニク・ショックが起き、宇宙開発競争が始まる。1961年にはソ連がボストークロケットによりユーリイ・ガガーリンが搭乗したボストークの打ち上げを成功させ、世界初の有人宇宙飛行を成し遂げた。一方、1969年にはアメリカがサターンV 型ロケットによりアポロ11号を打ち上げて世界で初めて人類を月に到達させた。(ロケット フレッシュアイペディアより)
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ロケットから見た黒色火薬
日本でも、鎌倉時代に元が攻めて来た(元寇)時に元軍により使用されたという。戦国時代には狼煙として使われ、江戸時代に入ると各地で伝承されてきた。埼玉県秩父市の椋神社で毎年10月に行われるロケット祭り(龍勢祭り)や静岡県藤枝市岡部町朝比奈、同静岡市清水区草薙、滋賀県米原市等、各地で古くから龍勢(流星)の打ち上げが行われてきた。現在でも打ち上げられる龍勢は木材を竹タガで締め、内部に黒色火薬をつき固めた端面燃焼ロケットである。この龍勢祭りの起源は明確な記録がなく明かではないが、鉄砲伝来後の戦国時代以降の狼煙が、その後の平和な時代になって龍勢(流星)となって農村の神事・娯楽に転化したという説が有力である。(ロケット フレッシュアイペディアより)
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ロケットから見たDFS 346
飛行機への適用としては、1928年6月11日にFritz Stamerの操縦によりLippisch Enteが飛行し、1929年9月30日に"ロケットフリッツ"("Rocket Fritz")の異名を持つフリッツ・フォン・オペルの操縦によりOpel RAK.1が飛行に成功、その後、第二次大戦前夜の1939年6月20日にErich Warsitzの操縦により液体燃料ロケットエンジンを搭載したHe 176が飛行に成功して、第二次世界大戦末期に盛んな研究・開発がなされたが、その典型例がナチスドイツの迎撃戦闘機Me163といえる。Me163 は推力1,700kgのヴァルターロケット1基により亜音速飛行を実現した。この戦闘機を参考に日本でも類似した局地戦闘機「秋水」が試作されたが、試験飛行中に墜落して終わった。ソビエトでは1942年にBI-1が飛行した。他にもミグI-270、DFS 40、DFS 194、Ba 349、Go 242、DFS 228、DFS 346等があった。(ロケット フレッシュアイペディアより)