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宇津木麗華から見た宇津木妙子
ソフトボールに転向して1年後、のちに家族同然の間柄となる宇津木妙子(以下、妙子)と出会う。「キャプテンでサードだった妙子さんは小柄なのによく打つ選手で、すごい人だと驚きました。そのときはただ横から見て憧れてただけだったんですが、中国ジュニア代表のキャプテンとして日本に遠征した18歳のとき、先輩から預かったお土産を妙子さんに渡して、初めて話ができました。当時は日本語が全然わからなかったんで、筆談で何とかコミュニケーションをとりましたね。中国は野球やソフトが日本ほど盛んではなく、優れた指導者がいなかったんで、妙子さんみたいな人に教えてもらえるのは本当にありがたかったです」と宇津木は若かりし日に思いをはせる。現役を引退して指導者に転身したばかりの妙子の方も麗華監督の頭抜けたソフトボールセンスを瞬時に感じ取ったようである。「15歳の麗華が人民服を着てこっちを見ていたのは記憶があります。初めて話した日本遠征のころから、自分で考えて判断できる頭のいい選手だと思っていました。実際、カナダのエドモントンで開かれた’81年世界ユースソフトボール選手権大会では打率6割という驚異的な数字を叩き出し、リーディングヒッターになってますからね」と妙子は若かりし日のエピソードを披露している。(宇津木麗華 フレッシュアイペディアより)
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ビックカメラ女子ソフトボール高崎から見た宇津木妙子
1981年、旧日立高崎工場創立10周年記念事業の一環で日立高崎ソフトボール部(ひたちたかさきソフトボールぶ)として創部。元全日本監督の宇津木妙子が総監督を務める。(ビックカメラ女子ソフトボール高崎 フレッシュアイペディアより)
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坂井寛子から見た宇津木妙子
高校時代までは速球派として知られていたが、その後シュート等の変化球を習得。ライズボールやチェンジアップ等を用いての縦の変化が主流のソフトボールでは珍しい、横の揺さぶりが持ち味の投球スタイルを取る。特に坂井の投げるシュートは世界でもほとんど投げる投手のいない球筋で、打者の膝元に鋭く食い込み、変化が読みにくい球であると言われている。シュートを含む ?七色の変化球? を制球良く投げ込む、日本屈指の技巧派投手。宇津木妙子・元全日本監督は、上野とともに「全日本の二枚看板」と断じ、「日本の最大の強みは『たとえ上野がダメでも坂井がいる』逆に『坂井が調子が悪くても上野がいる』というパターンができたこと」と指摘する。場数を踏むベテラン投手らしく、五輪競技や世界選手権など国際試合にめっぽう強く、オリンピックでは2大会を通じて無敗を記録。(坂井寛子 フレッシュアイペディアより)
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世界野球ソフトボール連盟から見た宇津木妙子
2014年5月10日 - チュニジア・ハマメットで第1回WBSC総会を開催。会長にはリカルド・フラッカリ、副会長にはIOC委員でもあるレイナルド・ゴンサレスとメリトン・サンチェスが選出された。理事にはソフトボール女子日本代表元監督の宇津木妙子も選出された。任期は2021年までの7年間。また、準会員としてメジャーリーグベースボール(MLB)、日本野球機構(NPB)、韓国野球委員会(KBO)、中華職業棒球大聯盟(CPBL)のプロ組織4団体が加わった。(世界野球ソフトボール連盟 フレッシュアイペディアより)