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極道の妻たちから見た富司純子
高島礼子は1988年にとらばーゆのCMを見た松平健の目に留まり、東映京都撮影所に招かれ、25歳のとき『暴れん坊将軍III』の"御庭番"役で女優デビューした。その後、日本酒「黄桜」のCMを見た東映首脳が高島の着物姿に惚れ込み1999年、極妻の四代目ヒロインに抜擢されることになった。しかし歴代の主演女優に比べて、高島は当時30代半ばと若く不安視されたが、関本郁夫が『彼女に合わせて極妻の誕生編を撮ったらいい』と提案し、これが採用されピタッとハマった。高島は高校時代から仁侠映画のファンで、『緋牡丹博徒』の藤純子(富司純子)や、鶴田浩二に心酔し『仁義なき戦い』も研究していた。高島の起用は東映社内でも大きな賭けであったが大ヒットし、岡田社長も「この子はスターになる」と手放しで喜び、高島主演でシリーズ化が決定、高島は本シリーズを出世作とした。(極道の妻たち フレッシュアイペディアより)
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山口組三代目 (映画)から見た藤純子
本作以降、山口組に関わる映画は田岡満が脚本のチェックを行った。プロデューサーの日下部五朗は田岡一雄の女房役にはポスト藤純子で募集した中村英子を起用した(純子引退記念映画 関東緋桜一家)。中村はポスト藤純子の中でも最も期待されていた。田岡満に「お母さんの役はこの娘で行きますよ」と紹介したらいつのまにか2人は結婚した。ところが高倉健が「新人では夫婦になれん」と言うので松尾嘉代に変更になった。俊藤が「絵ヅラ的に甘い」と交代させたともいわれる。昔から夫人に世話になった経験を持つ古参幹部からは「姐さんの若いころに雰囲気がそっくりや」と評判がよかった。ただ田岡一雄は「きれいすぎるなぁ」と言っていたという。(山口組三代目 (映画) フレッシュアイペディアより)