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富山県から見た小島職鎮
3月11日 - 信長方であった小島職鎮、唐人親広、景勝に内通し協働して富山城を占拠するが、柴田、佐々、前田の兵によってこれを奪還される。また信長方は進んで魚津、松倉の両城を囲む(魚津城の戦い)。『信長公記』曰く、「去程越中国富山之城に、神保越中守居城候然而、今度信長御父子信州表に至而御動座候之処、武田四郎節所を拘、遂一戦悉討果候之間、此競に越中国も一揆令蜂起其国存分に申付候へと有??と越中へ偽申遣候事実に心得、小野六郎左衛門、加老戸式部両人一揆大将に罷成、神保越中を城内へ押籠、三月十一日、富山之城居取に仕近辺に挙煙候不移時、柴田修理亮、佐々内蔵介、前田又左衛門、佐久間玄番頭、此等之衆として富山之一揆城取巻候間落去不可有幾程之旨注進被申上候」。(富山県 フレッシュアイペディアより)
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