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  • 上園啓史

    上園啓史から見た寺原隼人寺原隼人

    初打点:2007年7月1日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、5回表に寺原隼人から決勝右犠飛上園啓史 フレッシュアイペディアより)

  • 2001年の野球

    2001年の野球から見た寺原隼人寺原隼人

    8月16日 - 全国高等学校野球選手権大会で日南学園の寺原隼人が対玉野光南戦で、甲子園最速(当時)154Kmをマーク。2001年の野球 フレッシュアイペディアより)

  • 中山慎也

    中山慎也から見た寺原隼人寺原隼人

    前年度からの好調を維持し開幕から先発ローテーションの一角を任されるが、好投しながらも打線の援護に恵まれず、防御率3点台ながら4連敗を喫し2軍落ち。再昇格後初登板となった5月22日の巨人戦では延長10回からリリーフ登板し、1イニングを無失点に抑えプロ入り初セーブを挙げる。交流戦では2勝を挙げ防御率0.73と安定した投球を見せた。また、勝利した2試合とも敵地での登板のため打席機会があったが、いずれの試合も自身で安打を放って得点に結びつけている。しかし、リーグ戦再開後は再び打線とのかみ合わせが悪く、7月終了時点で対パ・リーグ球団戦では未勝利だったが、8月12日の西武戦でようやく3勝目をあげると以後は白星を重ね、9月7日の楽天戦では8回1死まで楽天打線を無安打に抑える快投を見せるなどして(試合は被安打2で1失点の完投勝利)、6連勝を挙げた。クライマックスシリーズ進出が差し掛かった場面では岡田彰布監督から金子千尋・寺原隼人に並ぶ先発3本柱とまで評価された。その後は中4日で2試合登板するも勝利に見放され、序盤から負け星が試合が先行したこともあって最終的には24度の先発で8勝9敗、被本塁打11とリーグワーストの与四球69をマークしたが、それでも自己最多の8勝を挙げ、防御率2.94と奪三振119(いずれも同僚の寺原を抜いてチーム2位)と大きく飛躍したシーズンとなった。特に左打者に強く、被打率はわずか.167だった。中山慎也 フレッシュアイペディアより)

  • 鴨志田貴司

    鴨志田貴司から見た寺原隼人寺原隼人

    茨城県久慈郡大子町出身。水戸短大附高時代は最速152km/hの速球で鳴らし、同じく速球派投手であり後にオリックスでチームメイトとなる日南学園高等学校の寺原隼人と共に「東の鴨志田、西の寺原」と言われた(ただし甲子園をはじめとする全国規模の大会に出場したことはない)。鴨志田貴司 フレッシュアイペディアより)

  • 由規

    由規から見た寺原隼人寺原隼人

    に仙台育英学園高等学校に進学。当時の球速は130km/hに満たず、控え三塁手だったが、1年秋には140km/hを記録して注目を集めた。その後球速を伸ばし、2年夏の宮城県大会決勝戦では東北に引き分け再試合を含む24イニング374球を投げ抜き優勝。甲子園大会出場を決める。3年夏の甲子園2回戦・智弁学園高校戦の4回裏に、甲子園のスピードガンで計測された中で最速の155km/hを計測した。それまでの記録は寺原隼人(日南学園)の154km/h。最終的にはの日米親善試合にて自己最速の157km/hを計測。甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場し、登板5試合中4試合で二桁三振を奪っている。「熱闘甲子園」で「みちのくのプリンスK」と称された。由規 フレッシュアイペディアより)

  • マット・マートン

    マット・マートンから見た寺原隼人寺原隼人

    初打点:2010年3月27日、対横浜ベイスターズ2回戦(京セラドーム大阪)、6回裏に寺原早人から左中間へ適時二塁打マット・マートン フレッシュアイペディアより)

  • 2008年のオールスターゲーム (日本プロ野球)

    2008年のオールスターゲーム (日本プロ野球)から見た寺原隼人寺原隼人

    セ:川上(中日)、石川(ヤクルト)○、館山(ヤクルト)、久保田(阪神)、寺原(横浜)、クルーン(巨人)、藤川(阪神) - 阿部(巨人)、石原(広島)、矢野(阪神)2008年のオールスターゲーム (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)

  • 斉藤和巳

    斉藤和巳から見た寺原隼人寺原隼人

    の開幕前、王貞治を始めとする一軍首脳陣は「エースは斉藤か、寺原」と明言した。この言葉に奮起した斉藤は、3月28日のロッテ戦で初の開幕投手を務め、勝利投手となる。その後はプロ野球新記録となる先発16連勝を記録するなど、パ・リーグでは1985年の佐藤義則以来となる20勝(3敗)を記録。最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナイン・沢村賞などのタイトルを総なめにした。前年までは右肩の怪我で通算9勝しか挙げられなかったが、この年の活躍で大きく成長、チームも日本一に輝くなど最高のシーズンを送った。この年は同じく20勝を挙げてセ・リーグ優勝に貢献した井川慶と共に、史上初となる「両リーグで沢村賞投手同時選出」となった。また、両リーグから20勝投手が出たのは1982年の北別府学・工藤幹夫以来だった。また、投球回・自責点とも松坂大輔と全く同じで、こちらも史上初の最優秀防御率同時受賞となった。この年、優勝争い最大のライバルとしていた西武から6勝を挙げたほか、松坂との投げ合いでは3戦全勝とエース対決の強さも見せた。斉藤和巳 フレッシュアイペディアより)

  • 喜田剛

    喜田剛から見た寺原隼人寺原隼人

    同年12月14日に 寺原早人・高宮和也との交換トレードで、山本省吾と共に横浜ベイスターズへ移籍。オリックス在籍期間は僅か半年ほどだった。背番号は阪神時代以来の55、登録名は引き続き喜田剛となった。喜田剛 フレッシュアイペディアより)

  • 近藤一樹

    近藤一樹から見た寺原隼人寺原隼人

    は開幕二軍スタートとなるも、二軍戦で4試合に先発登板して20回を3失点、防御率1.35と上々の成績を残すと、金子千尋・寺原隼人が故障離脱した事情を受け、4月21日の対日本ハム戦で先発。6回4失点で敗戦投手となったが、右肩の違和感を訴えて同月24日に登録抹消。その後は二軍戦でもほとんど登板が無く、一軍での登板は先述の1試合のみに終わった。シーズン終了後に香月良太が読売ジャイアンツへ移籍したのに伴い、分配ドラフトを経てオリックスに在籍し続ける近鉄の選手は横山徹也と近藤のみ。近藤一樹 フレッシュアイペディアより)

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