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小川洋子から見た海燕新人文学賞
1980年4月、早稲田大学第一文学部文芸専修に入学。小金井市にある金光教の女子寮に入る。入学してすぐに文学サークル「現代文学会」に入る。大学時代は一軒家の金光教東京学生寮で、女子5人で自炊で質素に暮らし、金光教を当り前のものとして受け止めることにした。18歳の大学の夏休みに、岡山の古本屋の100円本売り場で金井美恵子『愛の生活』を買い、「自分もこういうものが書きたい」と自分の基本とする小説を発見し、その後も座右の書の1つにしている。在学中は自作の小説を平岡篤頼に見てもらっていた。大学4年生のとき、海燕新人文学賞に応募するが、第一次審査で選に漏れる。(小川洋子 フレッシュアイペディアより)
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小川洋子から見た芸術選奨文部科学大臣賞
2004年、記憶が80分しかもたない数学博士と家政婦の母子との交流を描いた『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞し、ベストセラーとなった。のちに文庫版は当時最速の2か月で100万部を突破した。同作は2006年に映画化された。2004年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞を受賞する。2005年には『薬指の標本』がフランスで映画化される。2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞を受賞する。2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。(小川洋子 フレッシュアイペディアより)
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