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小川洋子から見た第一文学部
1980年4月、早稲田大学第一文学部文芸専修に入学。小金井市にある金光教の女子寮に入る。入学してすぐに文学サークル「現代文学会」に入る。大学時代は一軒家の金光教東京学生寮で、女子5人で自炊で質素に暮らし、金光教を当り前のものとして受け止めることにした。18歳の大学の夏休みに、岡山の古本屋の100円本売り場で金井美恵子『愛の生活』を買い、「自分もこういうものが書きたい」と自分の基本とする小説を発見し、その後も座右の書の1つにしている。在学中は自作の小説を平岡篤頼に見てもらっていた。大学4年生のとき、海燕新人文学賞に応募するが、第一次審査で選に漏れる。(小川洋子 フレッシュアイペディアより)
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小川洋子から見た岡山県立岡山朝日高等学校
1977年4月、岡山県立岡山朝日高等学校入学。クラブ活動で弓道を始める。高校時代に『アンネの日記』を読み感銘を受ける。高校3年生の時、萩原朔太郎や中原中也の詩集を読む。読書範囲が広がり、立原道造、川端康成、太宰治、谷崎潤一郎を愛読する。自分の文学を求めて、大学は文芸を志す。推薦入学決定後に『万葉集』を読む。(小川洋子 フレッシュアイペディアより)
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小川洋子から見たシートン動物記
小さいころ納戸にあった『家庭医学大事典』が最初の読書で、病気の説明や内臓の図を見る。小学1、2年からオレンジ色の表紙の『世界少年少女文学全集』を愛読する。小学校から図書室をよく利用する。また、こたつの中で空想にふける癖があり、高じて小説を書くようになったと述懐している。8歳か9歳で幼少習作『迷子のボタンちゃん』を書き、画用紙に清書しホチキスで綴じる。『家庭医学大事典』の病気の人の話も作る。小学校の図書室で『シートン動物記』、『ファーブル昆虫記』、「動物や恐竜の図鑑」、「科学者の伝記」を『家庭医学大事典』の影響で借り、児童小説の『若草物語』、『長くつ下のピッピ』、『メアリー・ポピンズ』も借りて同様に読んでいた。小中高とどんな女子グループにも入らなかった。(小川洋子 フレッシュアイペディアより)
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