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小林幸子から見た2009年
1980年にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たし、1991年 - 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていた(美川は2010年以降は出場していない)。美川とはデビュー前後から古賀政男の元で一緒にレッスン指導を受けていたため、年齢は離れているが50年前からプライベートでも親交が深く「憲ちゃん」「幸ちゃん」と呼び合う仲で、音楽番組以外にもバラエティ番組などに仲良く出演するなどしており、デビュー当時からお互いの低迷時の苦労等も全て知り尽くしている。(小林幸子 フレッシュアイペディアより)
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小林幸子から見た柏原芳恵
姉御肌であり演歌やポップスなどの後輩歌手への世話や面倒見などがとてもよいそうで、中でも後輩歌手の柏原芳恵を妹の様に可愛がっており、柏原も小林を姉のように慕っている。柏原は『ザ・ベストテン2002』など様々な番組の中で「幸子姉さんには落ち込んでいる時に精神的に助けて頂いた」と感謝の念を述べている。また小林も「芳恵ちゃんはデビュー当時から変わらぬ初々しさで、とても可愛く、本当の妹の様に思っている」と返した。泉ピン子は美川憲一と同じく、互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、同期の水前寺清子に都はるみ、後輩の浅野ゆう子、グッチ裕三、コロッケや夏木マリ、牧村三枝子なども大の仲良しの親友である。中島啓江は生前20年に渡って小林を姉の様に慕い、幸子も可愛がっていた。中島の突然の逝去の際には小林は大変ショックを受け、悲しみをこらえながらマスコミに追悼コメントを寄せている。(小林幸子 フレッシュアイペディアより)
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小林幸子から見たTBSテレビ
1974年には第一プロダクションに移籍する。低迷時の1977年には雑誌平凡パンチのグラビア内でセミヌードを披露した。1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついに200万枚の大ヒットをする。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。『全日本有線放送大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に輝く(『おもいで酒』のレコード売り上げ枚数は大賞曲『魅せられて』を上回る。この年の『ザ・ベストテン』(TBS系)年間1位は『おもいで酒』である)。『いつみても波瀾万丈』内で語ったところによると、前年(1978年)の大晦日は熱海へ興行に来ており、終了後に小林のマネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな!」と話したところ、スタッフ達に「幸っちゃん、絶対無理だよ!!」と笑われてしまったが、翌年に本当にヒット曲を出せて初出場できたのが夢のようだったという。(小林幸子 フレッシュアイペディアより)
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