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小柳ルミ子から見た筑紫女学園中学校
筑紫女学園中学校卒業後、宝塚音楽学校に入学。以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。渡辺プロは、「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と回答。言葉通り見事、1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席で卒業。同期には元専科の萬あきら、女優の麻実れい、東千晃らがいる。歌手デビューが約束されていたが、初舞台だけは踏みなさいと言われ、そのまま「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団し、2か月で退団した。歌手デビューを当初から念頭においており、小柳にとって宝塚は歌や演技の鍛錬を積むためのいわゆる腰掛けであった。(小柳ルミ子 フレッシュアイペディアより)
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小柳ルミ子から見た冬の駅
その後はアイドルというジャンルを卒業。1970年代後半?1980年代前半に入ってからは、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばした。その軌跡として、デビューの1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残している。さらに女優としても活躍し、1983年に日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど高く評価を受ける(詳しくは後述 「女優として」)。8時だョ!全員集合の最多出演ゲストである。(小柳ルミ子 フレッシュアイペディアより)
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