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小沢一郎から見た中曽根康弘
1999年10月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため(野中らは公明を引っ張るために、自由党と連立を組んだという事情もあった)、政権内部での自由党の存在感は必然的に低下した。自自両党の選挙協力も遅々として進まず、小沢は自民党総裁の小渕総理大臣に対して自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求した。中曽根康弘、亀井静香等は小沢の復党を認める方針であったが、党内の反小沢勢力は「小沢の復党は認められない、小沢抜きでの復党は認められる。」とし、小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ。」と応酬し、両者は2000年(平成12年)4月1日に会談するが、合意に達せず結局連立を解消した。直後に小渕は脳梗塞で倒れ、5月14日に死去した。(小沢一郎 フレッシュアイペディアより)
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小沢一郎から見た三井辨雄
環太平洋戦略的経済連携協定については、慎重な姿勢をとっている。記者会見にて「自由貿易には賛成だが、弱い産業部門は突然、『関税撤廃だ、自由競争だ』となったら成り立たなくなる。国民生活を守る対策が取られないうちにやるのは早計だ」と発言し、拙速な参加に懸念を表明している。また、環太平洋戦略的経済連携協定の適用分野が広範囲に及ぶことに言及し「TPP(に参加した場合の影響)は農林水産業の話だけではない。むしろ(米国などの)メーンの狙いは他の分野にある」と指摘するなど、農林水産業以外にも影響が及ぶとしている。2011年(平成23年)10月20日には、民主党の執行部役員である三井辨雄・鈴木克昌らに対して、環太平洋戦略的経済連携協定への参加交渉について慎重な対応をとるよう要請した。野田佳彦が環太平洋戦略的経済連携協定の交渉参加を表明した際には、「国内の体制がきちんと整備できるのか」「対等な交渉をして国民の利益を守れるのだろうか」などの疑問を口にしている。(小沢一郎 フレッシュアイペディアより)
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小沢一郎から見た弘兼憲史
田中角榮を「オヤジ」として慕い、政治のイロハと人生の薫陶を受けたと語る。それは「どぶ板」とも言われる、人口密度の低い農村部から始め有権者の家を一戸一戸回っていく地道な選挙活動を決して怠らない事をオヤジから学んだという。歴史上の人物では、福澤諭吉を日本文明の祖として尊敬し、勝海舟や坂本龍馬にも一定の理解を寄せ、西郷隆盛を尊敬するものの、政治家・人物としては大久保利通を目指していると述べた。戦前歴代内閣総理大臣で尊敬する人物は原敬である。また、司馬遼太郎の小説を愛読している。漫画では弘兼憲史『加治隆介の議』やジョージ秋山『浮浪雲』のファンで、特に『浮浪雲』では「選・小沢一郎あちきの浮浪(はぐれ)雲傑作十選」という本も出版されている。(小沢一郎 フレッシュアイペディアより)
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