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トガクシソウから見た小石川植物園
伊藤篤太郎(1865-1941)は、本草学者で、東京大学教授の伊藤圭介(1803-1901)の孫であり、当時、東京大学植物学教室に出入りを許された在野の植物学者であった。伊藤篤太郎は、自分の叔父の伊藤謙(1851-1879)が1875年(明治8年)に戸隠山で採集し、小石川植物園に植栽した本種の標本を、1883年(明治16年)にロシアの植物学者マキシモヴィッチに送り、マキシモヴィッチは1886年にロシアの学術誌「サンクト・ペテルブルク帝国科学院生物学会雑誌」にPodophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. として、メギ科ミヤオソウ属の一種として発表した。(トガクシソウ フレッシュアイペディアより)
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大久保三郎 (植物学者)から見た小石川植物園
幕臣で後に東京府知事・子爵となった、大久保一翁の息子として生まれた。1871年(明治4年)にアメリカ合衆国のミシガン大学に留学し、植物学を学んだ。1876年(明治9年)にはイギリスに渡った。帰国後の1878年(明治11年)に内務省に務めた後、東京大学御用掛、小石川植物園の植物取調に任じられた。伊豆諸島、小笠原諸島の植物相の研究を行った。1883年(明治16年)助教授に昇進し、矢田部良吉を補佐し、標本施設拡充に貢献した。1887年(明治20年)にも伊豆諸島を調査した。1889年(明治22年)に『植物学雑誌』に牧野富太郎と連名でヤマトグサを日本で初めて学名をつけて発表した。1895年(明治28年)三好学がドイツ留学から帰国すると、大学を非職となり、高等師範学校の教授となるが、以後中学用の植物学教科書の編集を行う以外に、植物学の研究論文などを書くことはなかった。(大久保三郎 (植物学者) フレッシュアイペディアより)
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岡崎市立矢作北中学校から見た東京大学大学院理学系研究科附属植物園
岡崎市東大友町に位置する中学校。岡崎市立矢作中学校の肥大化にともない、1976年から中学校新設が議論され、1981年に設立された。校内には東大植物園から贈られたアイザック・ニュートンの生家ゆかりのリンゴの苗が植樹されている。「矢北」(やきた)、「矢北中」と略される。(岡崎市立矢作北中学校 フレッシュアイペディアより)