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献名から見た小石川植物園
一方、事前承諾が察知され、献名を握り潰す事件がトガクシソウの新属独立時に発生している。東京帝国大学の矢田部良吉は採取した新種を「トガクシショウマ」と命名して育成し、カール・ヨハン・マキシモヴィッチに鑑定依頼したところ、1888年、マキシモヴィッチは新属新種と判断し、Yatabea japonicaの新学名の承諾を求めるとともに、検討材料として花の標本の送付を要求した。しかし、トガクシショウマは先に伊藤謙により発見され、伊藤圭介が「トガクシソウ」と命名し、1885年に伊藤篤太郎によって既にPodophyllum japonicumと発表されていた。東京帝大・小石川植物園へ頻繁に出入りしていた篤太郎は矢田部の動きを知り、両者が同一種と気づいた。叔父が発見し、祖父が命名し、自らが世界に知らしめたトガクシソウを「伊藤家の花」と認識していた篤太郎は、伊藤家を差し置いて矢田部が発見者と誤解されることを危惧し、矢田部より先手を打ち、江戸時代の植物学者小野蘭山の名を持ち出し、新属Ranzaniaと新属移転を発表した。これが日本人から日本人へ献名した最初のケースとなったのだが、献名を無効化された矢田部は激怒し、篤太郎を出入り禁止とした。(献名 フレッシュアイペディアより)
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東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部から見た東京大学大学院理学系研究科附属植物園
小石川樹木園(小石川植物園北):1909年(明治42年)設置の樹木実験圃場を改組して2004年(平成16年)設置(東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 フレッシュアイペディアより)
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白山神社 (文京区)から見た東京大学大学院理学系研究科附属植物園
天暦2年(948年)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建された。元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。明治初期には准勅祭社に指定された。(白山神社 (文京区) フレッシュアイペディアより)