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東明大貴から見た小谷野栄一
''、同期入団の吉田一将・大山暁史とともに、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦でも好投を続けた結果、救援要員として、大山と共に開幕を一軍で迎えた。オリックスで複数の新人投手が開幕一軍入りを果たしたのは、2004年の歌藤達夫・野村宏之以来10年振りであった。3月28日に、北海道日本ハムファイターズとの開幕戦(札幌ドーム)で、同点の延長12回裏に7番手投手として一軍デビュー。打者2人に1被安打1与四球で満塁のピンチを招いた末に、小谷野栄一にサヨナラ安打を許したため、チームは2年連続開幕戦でサヨナラ負け(2リーグ分立後のNPB史上初の記録)を喫した。一軍5試合目の登板であった4月17日の対日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)では、4回表から6回表までの救援によって、プロ入り初勝利を挙げた。ちなみに当日は、又吉克樹(中日ドラゴンズ)と豊田拓矢(埼玉西武ライオンズ)も一軍公式戦でプロ初勝利を記録。NPBの一軍公式戦で、3人の新人投手が同じ日に初勝利を挙げた事例は59年振りであった。なお、東明自身は、5月下旬から先発要員に転向。阪神甲子園球場での人生初登板になった6月7日の対阪神タイガース戦で、先発初勝利を挙げている。一軍公式戦では、7月に5敗を喫した一方で、8月に先発登板3試合で3勝を記録。シーズン通算では、同期の吉田一将と並んで5勝を挙げた。(東明大貴 フレッシュアイペディアより)
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五十嵐亮太から見た小谷野栄一
CSファイナルステージでは、10月15日、9回1点ビハインド二死走者無しから登板し、小谷野栄一をセンターフライに打ち取ると、その裏吉村裕基のタイムリーツーベースにより逆転サヨナラ勝ちし、クライマックスシリーズ初勝利を手にした。10月18日には、8回3点リードから1回無失点に抑えてホールドを記録。10月19日は8回1点リードから登板。唯一中田翔にレフトスタンドへの同点ホームランを許して救援失敗したものの、他の打者全て抑えて2イニング1失点で、同点のまま後ろに繋いだ。10月20日は、8回3点リードから3日連続となる登板だったが、1回無失点でホールドを記録し、チームは日本シリーズ進出を決めた。阪神との日本シリーズでは、10月26日、8回1点リードで登板。二死一二塁としたが、1回を無失点に抑えてホールド。10月28日は8回5点リードで登板して、福留孝介、新井良太、伊藤隼太を三者凡退に抑えた。10月29日は8回同点から登板し、マウロ・ゴメス、マット・マートン、福留孝介、関本賢太郎、藤井彰人、大和を6者連続の凡退に抑えて2つ目のホールドを記録。シリーズタイの4連投となる10月30日は、8回同点から登板。藤井彰人、大和、マット・マートンを三者凡退に抑えると、その裏に勝ち越しとなる松田宣浩のタイムリーヒットで先制すると、西岡剛の守備妨害によりチームは日本一となり、自身初の日本シリーズ勝利投手となった。日本シリーズでは、4試合で5回を投げ無失点だった。11月24日に行われた福岡市の優勝パレードでは王貞治球団会長、内川聖一とオープンカーに同乗し、沿道からのファンの声援に応えた。(五十嵐亮太 フレッシュアイペディアより)
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梨田昌孝から見た小谷野栄一
1月、一軍投手コーチに就任したばかりの小林繁が心不全により急逝。近鉄監督時代の2004年にも、二軍打撃コーチだった鈴木貴久を急性気管支炎で失っている。この年はほぼ中継ぎ経験しかないブライアン・ウルフをシーズン途中に先発に転向させなければならなかったり、二軍で野手が9人しかいなくなる程ケガ人が続出し、一時借金14の最下位と低迷しながら、小谷野栄一が4番に定着した交流戦頃からチーム状態が向上し、シーズン終盤にはクライマックスシリーズへの出場権をかけた3位争いを演じるところまで浮上。最終的には貯金7でシーズンを終え、全日程を終了した時点では3位だったが、千葉ロッテマリーンズが最後の3試合を全勝すれば3位浮上という状況の中で全勝したため、最終的には4位、日本ハム5年ぶりのBクラスでシーズンを終えた。この年4位になったことで、梨田は監督として全順位を経験した(全順位経験監督には梨田以外だと吉田義男、野村克也、長嶋茂雄、王貞治、星野仙一がいる)。(梨田昌孝 フレッシュアイペディアより)
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石本努から見た小谷野栄一
2004年に起こったプロ野球再編問題から発展した日本初のプロ野球ストライキ明けの初戦となった9月20日の対福岡ダイエーホークス戦(札幌ドーム)試合前に「一昨日、昨日と試合できなくてゴメンJoy」と称し、5名の同僚外野手で『秘密戦隊ゴレンジャー』のかぶりもの(仮面)を被ってシートノックを受けるというパフォーマンスを披露した(アカレンジャー:森本稀哲、アオレンジャー:島田一輝、キレンジャー:新庄剛志、モモレンジャー:石本、ミドレンジャー:坪井智哉)。翌2005年9月19日の対西武ライオンズ戦(札幌ドーム)でも新庄、森本、稲葉篤紀、小谷野栄一との5名で同じデザインのかぶりもの(新庄の顔を模った仮面で「SHINJO5」と命名)を被り、ユニフォームも全員で「背番号:1、背ネーム:SHINJO」のものを着用して試合前シートノックを受けている。2005年は若手の台頭などで出番が減少していき、オフに戦力外通告を受けてそのまま現役を引退。その後はチームのスカウトとして働いている。(石本努 フレッシュアイペディアより)