71件中 61 - 70件表示
  • 江尻慎太郎

    江尻慎太郎から見た小谷野栄一小谷野栄一

    春季キャンプの2月4日第1クール最終日に第1子と対面するため産休で欠席した。2月27日の紅白戦で先発して3回6失点と炎上し、同日鎌ケ谷行きとなり、3月15日の教育リーグの先発を最後にリリーフとなった。二軍で10試合で防御率0.79と好投し、4月24日に一軍へ昇格すると、5月5日の対オリックス・バファローズ戦で6回3点ビハインド二死一塁から登板して三振に切り抜けて3点の援護、7回も無失点に抑えてさらに3点援護を得てプロ初の救援勝利を果たした。5月16日の対楽天戦では5回1点リード一死満塁から登板して走者一掃三塁打で3失点と救援失敗したが、高橋信二のスリーランホームランなど4点の援護を得て2勝目を挙げた。5月27日に同点からの登板で好投して3勝目を挙げ、6月10日の対巨人戦では9回1点リード一死一三塁から登板してプロ初セーブを挙げた。6月20日の対広島戦で5回2点リード二死満塁のピンチを切り抜け、8回にソロ本塁打を許したものの4勝目を挙げ、交流戦優勝マジックを1とした。6月30日の対オリックス戦では7回3点リードから1イニングを無失点に抑えてプロ初ホールドを記録した。7月7日の千葉ロッテ戦では8回同点から登板して3イニング無失点の好投で小谷野栄一のサヨナラ弾を呼び5勝目を挙げた。5月から7月までの23試合で5勝したが、登板の半数は救援失敗するなど安定感は欠いた。8月12日の西武戦では8回2点ビハインド一死一二塁からアレックス・カブレラを併殺に打ち取り、9回に3点の援護を得て球団史上初の1球勝利で6勝目を挙げた。9月2日のソフトバンクとの首位攻防戦で8回1点ビハインド一死一二塁から登板して併殺で切り抜け、9回も3者凡退に抑えると工藤隆人の逆転サヨナラタイムリーにより自己最多の7勝目を挙げた。昇格後1度も抹消なくフル稼働していたが4度目の3連投となった9月16日の対ソフトバンク戦後に右肘の痛みを訴え、9月22日に出場選手登録を抹消され、その後も痛みが慢性化していたため、都内の病院で左手首の靭帯を右肘に移植する右肘側副靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた。11月7日に鎌ケ谷でジョギングなどを行いリハビリをスタートした。同年は怪我のためポストシーズンには出場できなかったが、42試合に登板して自己最多出場を更新し、防御率も初の3点台を残してチームのリーグ連覇に貢献した。江尻慎太郎 フレッシュアイペディアより)

  • 満塁本塁打

    満塁本塁打から見た小谷野栄一小谷野栄一

    1イニングで複数の満塁本塁打が4度達成されている。史上初の1イニング2満塁本塁打が記録されたのは1996年10月9日で、阪神の新庄剛志と塩谷和彦が中日の金森隆浩から記録した。塩谷は代打起用でプロ初本塁打である。1999年8月20日にはダイエーの秋山幸二と小久保裕紀が記録した。小久保はランニング本塁打である。2007年4月1日には東北楽天のホセ・フェルナンデスと山崎武司が記録した。2010年6月20日には日本ハムの小谷野栄一と金子誠がオリックスの阿南徹から記録した。満塁本塁打 フレッシュアイペディアより)

  • 澤田圭佑

    澤田圭佑から見た小谷野栄一小谷野栄一

    身長178cm・体重96kgというふくよかな体格で、打者がスイングのタイミングを取りづらいオーバースローの投球フォームから、最速149km/hのストレートを主体にスライダー・カットボール・チェンジアップなどの変化球を巧みに投げ分ける本格派投手。大阪桐蔭高校時代から投球の安定感とコントロールへの評価が高く、大学時代には、東京六大学野球のリーグ戦で1試合平均の与四死球率を1.99にとどめていた。オリックスのチームメイトでベテラン打者の小谷野栄一は、「投球に大したスピードはないのに、投げる寸前まで球種が分からないので、打者が先に反応してしまう」という意味で、澤田の投球術を「あと出しジャンケン」と表現している。澤田圭佑 フレッシュアイペディアより)

  • 江戸川区

    江戸川区から見た小谷野栄一小谷野栄一

    小谷野栄一 - プロ野球選手(オリックス)江戸川区 フレッシュアイペディアより)

  • 近藤健介

    近藤健介から見た小谷野栄一小谷野栄一

    はプロ3年目で初めての開幕一軍登録を果たすと、大野奨太・市川友也と交互に、捕手として公式戦へスタメン出場。5月2日の対オリックス戦(札幌ドーム)からは、レギュラー三塁手・小谷野栄一の故障による戦線離脱を背景に、「横浜高校時代以来」という三塁手として連日スタメンに起用されている。「7番・三塁手」として出場した同月16日の対ロッテ戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で、一軍公式戦での初本塁打を2点本塁打を記録した。「2番・三塁手」としてスタメンに起用された同月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、3回表の第2打席で、「人生で初めて」という満塁本塁打をバックスクリーンへ放った。さらに、この本塁打を放った時点での年齢が20歳9ヶ月であったことから、「パ・リーグの公式戦で満塁本塁打を放った最年少選手」のチーム記録(張本勲が東映フライヤーズ時代の1961年に21歳1ヶ月で達成)を更新している。その後も三塁手としてスタメン出場を続けたが、6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(札幌ドーム)で走塁中に左太腿裏に筋挫傷を発症したため、同月17日に出場選手登録を抹消。後に一軍へ復帰してからは、三塁手でのスタメン出場を中心に、本来のポジションである捕手としても出場。9月15日の対オリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)では、同期入団である上沢直之とのバッテリーで先発すると、上沢を一軍公式戦初完封勝利に導いた。さらに、レギュラー遊撃手の大引啓次が足腰を痛めていた時期には、大引に代わって遊撃の守備に就くこともあった。結局、一軍公式戦には通算で80試合に出場。捕手としてマスクを被ったのは16試合で、70試合で三塁、2試合で遊撃の守備に就いた。打撃面では、打率.258ながら、4本塁打、28打点、チーム最多の20二塁打を記録するなど長打力を発揮。その活躍が評価されたことから、シーズン終了後の第1回21U野球ワールドカップでは、日本代表の「4番・一塁手」に起用された。近藤健介 フレッシュアイペディアより)

  • 松坂大輔

    松坂大輔から見た小谷野栄一小谷野栄一

    5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込む。2006年に行われた少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問には「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良いよ」と答えている。小学3年生で江東区の東陽フェニックスに入部し野球を始める。中学時代は江戸川区の江戸川南リーグ(リトルリーグ)に所属する(小谷野栄一がチームメートだった)。リトルリーグ時代にNHK教育テレビジョンの『天才てれびくん』に出演したことがある。松坂大輔 フレッシュアイペディアより)

  • 森福允彦

    森福允彦から見た小谷野栄一小谷野栄一

    ''、3月31日に一軍昇格し、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の9回6点リードの場面からプロ初登板。塀内久雄、橋本将を連続三振で抑え、青野毅に二塁打、早川大輔に四球を与えたものの西岡剛を三振に打ち取り無失点でのデビューだった。4月10日の対ロッテ戦、本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームデビューの試合も9回12点リードから1回を無失点、4月11日北九州市民球場で行われた対ロッテ戦では9回4点ビハインド二死満塁からマット・ワトソンをファーストゴロに打ち取る。以降4月12日の対ロッテ戦から3点差以内のビハインドで3試合連続で好投、この6試合を無失点とした。4月21日対北海道日本ハムファイターズ戦で6回1点リードから初めてのホールド機会で登板、稲葉篤紀に死球を与えると、バントした小田智之をキャッチャーフライに打ち取る。ここで捕手が田上秀則から山崎勝己に変更され、右打者の小谷野栄一にヒットを打たれ一死一二塁で降板、しかし代わった佐藤誠が鶴岡慎也に同点タイムリーを打たれ、ホールドとはならなかった。その後登板機会が無く、5月3日に二軍での再調整を言い渡された。7月11日に再昇格したが、出番無く7月28日に降格となった。一軍では7試合登板で佐藤によって付けられた自責1のみ、防御率1.50でシーズンを終えた。森福允彦 フレッシュアイペディアより)

  • オリックス・バファローズ

    オリックス・バファローズから見た小谷野栄一小谷野栄一

    しかし、チームが好成績を残したことでオフにフロントも大きな補強を敢行。日本ハムからFA権を行使した小谷野栄一、メジャーリーグに挑戦していた中島裕之、DeNAからトニ・ブランコ、広島からブライアン・バリントンを獲得。戦力流出の阻止としては、まず12月9日に守護神でFA権を行使しての国内移籍の意向を示していた守護神の平野を球団のリリーフ投手史上最高の年俸3億円の3年総額9億円契約を締結。さらに12月15日には日本ハム時代からポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦を切望していた主砲の糸井には日本人外野手最高の年俸3億5,000万円の単年契約で残留にこぎつける。そして12月24日にはFA権を行使し、国内・海外への移籍への交渉を行っていたエースの金子を球団の投手史上最高の年俸5億円の4年総額20億円という超大型契約で投打の柱の3選手の流出を阻止した。合計50億円超(推定)の大型増強を行った。オリックス・バファローズ フレッシュアイペディアより)

  • 今江敏晃

    今江敏晃から見た小谷野栄一小谷野栄一

    7月5日、西村徳文コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際に、本来三塁で先発出場する予定だった今江の愛称である「ゴリ」と「堀」を聞きまちがえてしまい、堀幸一が2年ぶりにスタメン三塁で出場する珍事があった。結局堀は第1打席で犠牲フライを放ったのち、3回表の守備より今江と交代した。チーム4位の60打点を記録したものの、打率は.247と低調に終わり、2005年から受賞していたゴールデングラブ賞は小谷野栄一に譲ってしまった。今江敏晃 フレッシュアイペディアより)

  • 伊藤光

    伊藤光から見た小谷野栄一小谷野栄一

    ''、若月を上回る打力を生かしながら、金子が先発しない試合への出場機会を増やす目的で、捕手登録を続けたまま春季一軍キャンプから三塁の守備を練習。2017 ワールド・ベースボール・クラシック開幕直前の3月5日に京セラドーム大阪で催された日本代表の強化試合には、オリックスの「7番・三塁手」としてスタメンで出場した。レギュラーシーズンの開幕カードであった対東北楽天3連戦(京セラドーム大阪)では、3月31日の開幕戦に金子が先発したものの、自身は金子降板後の6回表から捕手として出場した。翌4月1日の第2戦では、一軍公式戦では初めて、三塁手としてスタメンに起用。その後も、若月を捕手、伊藤を三塁手としてスタメンで同時に起用する試合が続いたが、小谷野栄一の復調やクリス・マレーロの獲得で一・三塁手としての出場機会が減る一方で、若月は開幕から打率が1割台と極度の打撃不振が続き、伊藤は8月ごろから西や山岡泰輔の先発する試合でもスタメンマスクをかぶっている。2011年以来の1割台の打率でシーズンを終えたが本塁打は自己新となる5本塁打を放った。伊藤光 フレッシュアイペディアより)

71件中 61 - 70件表示

「小谷野栄一」のニューストピックワード