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尖閣諸島から見た古賀善次
1896年、沖縄の郡制施行により魚釣島と久場島はまもなく八重山郡に編入され、北小島、南小島と共に国有地に指定され地番が設定された。同年9月、日本政府は実業家の古賀辰四郎に対して、魚釣島、久場島、北小島及び南小島を30年間無償で貸与することとし、無償貸与期間終了後は1年契約の有償貸与に改めた。1932年に4島は古賀辰四郎の嗣子である古賀善次に払い下げられ私有地となった。古賀親子はアホウドリの羽毛の採取、グアノ(海鳥糞)の採掘、鰹漁業、鰹節の製造等の事業を経営し、1909年には248人(99戸)の日本人が居住していた。しかし、1940年(昭和15年)頃に古賀善次が尖閣諸島での事業を撤退し、居住していた人々も退去して再び無人島となった。戦前には、以上のような民間人の事業活動のほか、国の機関や沖縄県による資源調査・地形調査等が実施され尖閣諸島に対する日本の有効な支配が継続していた。(尖閣諸島 フレッシュアイペディアより)
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尖閣諸島から見たフィリピン海プレート
琉球諸島西方の東シナ海、沖縄トラフの西側に位置する。ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、尖閣諸島は沖縄島から年々その距離が離れている。南西諸島からユーラシア大陸に続く大陸棚の上にある。(尖閣諸島 フレッシュアイペディアより)
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