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尾花高夫から見た初芝立命館中学校・高等学校
PL学園高等学校ではエースとして活躍。しかし夏の甲子園府予選は4回戦で初芝高に敗れ、甲子園には届かなかった。2年下のチームメートに当時は外野手であった米村明がいる。卒業後は新日本製鐵堺硬式野球部に進む。の都市対抗に出場するが、1回戦で河合楽器に敗れ、自身の登板はなかった。(尾花高夫 フレッシュアイペディアより)
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尾花高夫から見た埼玉西武ライオンズ
1999年の西武ライオンズとの開幕戦で、王監督に対し、「監督、この試合は何対何で勝つつもりですか?どの程度の得失点を想定しておられますか?」と尋ねた。王はコーチからこのような質問を受けるのは初めてで怪訝そうな顔つきをしていると、「その想定なくしては私はどのように投手を用意したらいいのですか。例えば2対1と3対2では投手継投が大きく異なります」と続けた。王が「君はどう思う?」と聞くと、「西口文也から二点取れますか?2対1または1対0で勝たないと。いずれにせよ、接戦になるでしょう」と答え、王も頷いた(結果は1対0でライオンズの勝利。西口が完封勝利した)。この試合を機に、試合前に試合展開に応じて投手起用を事前に準備する方式が確立したという。 この年、ホークスは日本一となったが、尾花は他のコーチとの確執が絶えず、王に辞意を伝えたが、彼の手腕を認めた王が「お前の居易いようにするから」との一声で留任を決めたという。また、島田誠の存在も大きく、外様故に軽視されがちだった所を島田に助けてもらった経緯もあり、彼が王の信頼を失いかけた時は自らも島田を助ける等、互いに信頼関係を築いていた(島田の項も参照)。(尾花高夫 フレッシュアイペディアより)