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居酒屋から見た蒸留酒
その後居酒屋は、唐の時代ごろになると、各都市部に庶民向けの店が出始め、「酒肆(しゅし)」や「酒楼(しゅろう)」、「酒家(しゅか)」などと呼ばれた。これらは、当時の詩人であった李白や杜甫によって歌に詠まれている。各都市の街道沿いには宿屋を兼ねる居酒屋が軒を並べ、看板である「酒旗」を掲げ、ウイグル系の酌婦などが働いていた。当時は夜間の営業が禁止されており、深夜営業は宋朝の時代まで待たなくてはならなかった。またこの唐の時代に、詩人の王翰が葡萄酒を歌に詠んでいるが、ワインのような代物ではなく米と葡萄汁をブレンドした醸造酒だったようである。その後アラビアから蒸留酒が伝来し、「白酒(パイチュウ)」呼ばれて富裕層が嗜んだ。蒸留酒が庶民に出回るのは20世紀になってからである。(居酒屋 フレッシュアイペディアより)
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