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柁嘉熹から見た山下敬吾
5歳で囲碁を学び、呉肇毅の道場に入門。2002年入段。2004年二段、全国囲棋個人戦乙組3位。2005年三段、国家少年隊入り。2006年全国囲棋個人戦乙組優勝、全国体育大会9位、倡棋杯中国プロ囲棋選手権戦ベスト4に進出し、準決勝三番勝負で孔傑に0-2で敗れる。2007年富士通杯U15少年囲棋戦優勝。2008年新人王戦準優勝、農心杯で中国代表として出場し山下敬吾らを破り4人抜き、NEC杯囲棋賽ベスト8。2009年全国智力運動会男子個人快棋戦優勝。2010年BCカード杯、LG杯でベスト16、倡棋杯中国プロ囲棋選手権戦決勝で周睿羊を2-1で破って優勝。(柁嘉熹 フレッシュアイペディアより)
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溝上知親から見た山下敬吾
1985年、8歳で祖父と叔父に教えられ囲碁を覚える。翌年の佐世保市立相浦小学校3年時に少年少女囲碁大会長崎県大会準優勝で全国大会へ進出も、2回戦で優勝するのちのトップ棋士・山下敬吾に敗退。またこの大会には高尾紳路(現九段)も出場していた。翌年は同県大会で優勝し、全国大会では2回戦敗退。同年に菊池康郎の主催する緑星囲碁学園を訪問し、北海道合宿などに参加。1989年小学校6年時に、全国大会優勝を果たし東京に地縁が無かった事から、緑星囲碁学園初の内弟子となる。当時の緑星のメンバーは青木紳一・加藤充志・秋山次郎(3人共現九段)・青木喜久代(現八段)そして山下敬吾がいた。菊池師匠には「前を歩け」と助言されていた。1992年2月に院生になり、一月ごとにクラスを上げ入段試験まで進む。(溝上知親 フレッシュアイペディアより)
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