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  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た新日本製鐵

    大学3年になると、全日本選手権では3回戦の上村戦こそ2?1の微妙な内容での勝利だったが、その後は順調に勝ち上がり、決勝では高木を大外刈(ないしは足車)で破り2連覇を達成した。6月には全日本学生優勝大会で6戦オール一本勝ちを成し遂げて東海大学の2連覇に大きく貢献した。7月には全日本体重別選手権の決勝で上村から内股で効果を取って2連覇を達成。9月には日本武道館訪欧武道団によるヨーロッパ遠征メンバーの一員として各地で試合を行い、ウィーン世界選手権軽重量級で優勝したフランスのジャン=リュック・ルージェと引き分けた以外の10戦は全て勝利した。10月には全日本学生選手権95 kg超級で優勝すると、無差別級でも2年ぶり2度目の優勝を果たした。さらに国体成年の部では5戦5勝して神奈川県の2連覇に大いに貢献。11月にはブラジルのリオデジャネイロで開催された世界学生選手権の無差別級に出場してオール一本勝ちでの優勝を果たすが、団体戦では全勝したもののチームは3位に止まった。さらに全日本選抜団体選手権にも出場するが、ルートヴィヒスハーフェン世界選手権重量級で3位だった新日本製鐵の岩田久和との1戦を引き分けたのみで終わり、東海大学も3位に止まった。その直後の嘉納杯の95 kg超級では準決勝でルージェを横四方固で破ると、決勝でも上村から大内刈で一本を取ってオール一本勝ちで優勝を果たした。続く無差別級では初戦でソ連のアレクセイ・チューリンに先に効果を取られるが、終了30秒ほど前に大内刈で有効を取り返して辛勝した。その後は順調に勝ち上がり、準決勝では岩田を横四方固で破ると、決勝ではルージェを大外刈の有効で下して2階級制覇を達成した。翌年1月にはフランス国際に出場して決勝でチューリンを横四方固で破ったのをはじめ、6試合オール一本勝ちで優勝を果たした。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た旭化成

    17歳で出場した1975年の全日本選手権では、高校生ながら準決勝まで進出し、そこで旭化成の上村春樹に判定負けを喫するも3位入賞を果たした。5月にはウィーン世界選手権の国内1次予選会に出場するが、警視庁の遠藤純男に優勢負け、福岡県警の二宮和弘には合技(大外刈、小外刈)で一本負けを喫した。7月には2次予選会に出場するが、そこでは静岡県警の安斉悦雄に優勢負けした。一方、金鷲旗では11戦全勝して東海大相模の初優勝に貢献すると、インターハイ団体戦では8戦全勝して東海大相模を初優勝に導き、個人戦重量級でも6戦全勝して2年ぶり2度目の優勝を果たした。9月には全日本選抜体重別選手権に出場したが、全日本選手権同様、遠藤に優勢負けした。10月には国体高校の部に出場して、8戦7勝1分けの成績で神奈川県の優勝に大きく貢献。11月には全日本新人体重別選手権で優勝を果たした。翌76年の1月にはフランス国際に出場して、準決勝でオーストリアのクラウス・ワラスにまず小内刈で効果を取られると、続いて出足払いで技ありを取られピンチを迎えるも(この技を主審は一本と判断したが、副審2人が技ありと示したことで技ありに訂正となった)、その後横四方固で逆転の一本勝ちを果たすと、決勝でもミュンヘンオリンピック重量級3位であるソ連のギービ・オナシビリに棄権勝ちして、高校生にしてフランス国際を制した。2月にはモントリオールオリンピックの1次予選会に出場するも、そこで遠藤、二宮、警視庁の高木長之助にいずれも優勢負けを喫した。3月には全日本選手権の関東予選に出場して優勝し、同月、東海大相模高校を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た東宝

    YAWARA!(1989年、東宝)本人役山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見たグランドスラム・パリ

    17歳で出場した1975年の全日本選手権では、高校生ながら準決勝まで進出し、そこで旭化成の上村春樹に判定負けを喫するも3位入賞を果たした。5月にはウィーン世界選手権の国内1次予選会に出場するが、警視庁の遠藤純男に優勢負け、福岡県警の二宮和弘には合技(大外刈、小外刈)で一本負けを喫した。7月には2次予選会に出場するが、そこでは静岡県警の安斉悦雄に優勢負けした。一方、金鷲旗では11戦全勝して東海大相模の初優勝に貢献すると、インターハイ団体戦では8戦全勝して東海大相模を初優勝に導き、個人戦重量級でも6戦全勝して2年ぶり2度目の優勝を果たした。9月には全日本選抜体重別選手権に出場したが、全日本選手権同様、遠藤に優勢負けした。10月には国体高校の部に出場して、8戦7勝1分けの成績で神奈川県の優勝に大きく貢献。11月には全日本新人体重別選手権で優勝を果たした。翌76年の1月にはフランス国際に出場して、準決勝でオーストリアのクラウス・ワラスにまず小内刈で効果を取られると、続いて出足払いで技ありを取られピンチを迎えるも(この技を主審は一本と判断したが、副審2人が技ありと示したことで技ありに訂正となった)、その後横四方固で逆転の一本勝ちを果たすと、決勝でもミュンヘンオリンピック重量級3位であるソ連のギービ・オナシビリに棄権勝ちして、高校生にしてフランス国際を制した。2月にはモントリオールオリンピックの1次予選会に出場するも、そこで遠藤、二宮、警視庁の高木長之助にいずれも優勢負けを喫した。3月には全日本選手権の関東予選に出場して優勝し、同月、東海大相模高校を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た日本オリンピック委員会

    同大学柔道部監督。柔道指導員、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟会長、日本オリンピアンズ協会理事。過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長などを歴任。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た国民栄誉賞

    引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日引退。血液型はA型。国民栄誉賞を受賞。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た警視庁

    17歳で出場した1975年の全日本選手権では、高校生ながら準決勝まで進出し、そこで旭化成の上村春樹に判定負けを喫するも3位入賞を果たした。5月にはウィーン世界選手権の国内1次予選会に出場するが、警視庁の遠藤純男に優勢負け、福岡県警の二宮和弘には合技(大外刈、小外刈)で一本負けを喫した。7月には2次予選会に出場するが、そこでは静岡県警の安斉悦雄に優勢負けした。一方、金鷲旗では11戦全勝して東海大相模の初優勝に貢献すると、インターハイ団体戦では8戦全勝して東海大相模を初優勝に導き、個人戦重量級でも6戦全勝して2年ぶり2度目の優勝を果たした。9月には全日本選抜体重別選手権に出場したが、全日本選手権同様、遠藤に優勢負けした。10月には国体高校の部に出場して、8戦7勝1分けの成績で神奈川県の優勝に大きく貢献。11月には全日本新人体重別選手権で優勝を果たした。翌76年の1月にはフランス国際に出場して、準決勝でオーストリアのクラウス・ワラスにまず小内刈で効果を取られると、続いて出足払いで技ありを取られピンチを迎えるも(この技を主審は一本と判断したが、副審2人が技ありと示したことで技ありに訂正となった)、その後横四方固で逆転の一本勝ちを果たすと、決勝でもミュンヘンオリンピック重量級3位であるソ連のギービ・オナシビリに棄権勝ちして、高校生にしてフランス国際を制した。2月にはモントリオールオリンピックの1次予選会に出場するも、そこで遠藤、二宮、警視庁の高木長之助にいずれも優勢負けを喫した。3月には全日本選手権の関東予選に出場して優勝し、同月、東海大相模高校を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た中央大学

    4月には東海大学体育学部武道学科に進学。そしてオリンピックの2次予選会に出場するも、上村春樹と遠藤純男にそれぞれ優勢負けを喫した。さらに全日本選手権にも出場するが、3回戦で、前年に続き上村に小内刈で有効を取られて敗れた。5月には全日本体重別選手権に出場するが遠藤に優勢負けした。6月には学生優勝大会で全勝するも、チームは中央大学に敗れ2位に終わった。10月には全日本学生大会の無差別級で史上初の1年生チャンピオンに。11月には全日本選抜団体選手権に出場して6戦5勝1分けするが、チームは2位に終わった。さらに全日本新人体重別選手権大会で2連覇を果たすと、12月にスペインのマドリードで開催された世界ジュニア選手権では、オール一本勝ちで優勝を飾った。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た木村政彦

    木村政彦 - 最強の柔道家として、しばしば比較される。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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    山下泰裕から見た佐藤宣践

    そこでは、この年の全日本選手権で優勝した東海大学教員の佐藤宣践とその家族に公私両面で世話になりながら、稽古はほとんど東海大学で付けることによってさらなる成長を果たした。また、転校後間もない9月には高校生ながら東海大学のヨーロッパ遠征メンバーの一員として加わり、現地での試合では13戦全勝を記録。11月にはドイツとの親善試合にも出場して全勝した。当時の様子を佐藤は「日に日に強くなっていくようだった」と呆れ口調で語り、山下も「熊本から単身出てきたが、悲しくも淋しくもない。毎日が充実していて、気持ちが前向きだった」と振り返る。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

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