150件中 31 - 40件表示
  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た藤原敬生

    1983年の3月には大学院を修了して、4月からは東海大学体育学部の講師となった。そして全日本選手権では準決勝で新日本製鐵の藤原敬生に豪快な大外刈で一本勝ちすると、決勝では斉藤に判定勝ちして7連覇を達成した。7月の全日本体重別選手権では決勝で斉藤を指導で下して優勝を果たし、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。10月にソ連のモスクワで開催された世界選手権では、準決勝で東ドイツのヘンリー・ストールを指導で下すと、決勝ではオランダのウィリー・ウィルヘルムを横四方固で破り、世界選手権3連覇を達成した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た高木長之助

    17歳で出場した1975年の全日本選手権では、高校生ながら準決勝まで進出し、そこで旭化成の上村春樹に判定負けを喫するも3位入賞を果たした。5月にはウィーン世界選手権の国内1次予選会に出場するが、警視庁の遠藤純男に優勢負け、福岡県警の二宮和弘には合技(大外刈、小外刈)で一本負けを喫した。7月には2次予選会に出場するが、そこでは静岡県警の安斉悦雄に優勢負けした。一方、金鷲旗では11戦全勝して東海大相模の初優勝に貢献すると、インターハイ団体戦では8戦全勝して東海大相模を初優勝に導き、個人戦重量級でも6戦全勝して2年ぶり2度目の優勝を果たした。9月には全日本選抜体重別選手権に出場したが、全日本選手権同様、遠藤に優勢負けした。10月には国体高校の部に出場して、8戦7勝1分けの成績で神奈川県の優勝に大きく貢献。11月には全日本新人体重別選手権で優勝を果たした。翌76年の1月にはフランス国際に出場して、準決勝でオーストリアのクラウス・ワラスにまず小内刈で効果を取られると、続いて出足払いで技ありを取られピンチを迎えるも(この技を主審は一本と判断したが、副審2人が技ありと示したことで技ありに訂正となった)、その後横四方固で逆転の一本勝ちを果たすと、決勝でもミュンヘンオリンピック重量級3位であるソ連のギービ・オナシビリに棄権勝ちして、高校生にしてフランス国際を制した。2月にはモントリオールオリンピックの1次予選会に出場するも、そこで遠藤、二宮、警視庁の高木長之助にいずれも優勢負けを喫した。3月には全日本選手権の関東予選に出場して優勝し、同月、東海大相模高校を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た正木嘉美

    1982年4月の全日本選手権では、準々決勝で前年の世界選手権86 kg級2位である埼玉大学教員の野瀬清喜を送襟絞、準決勝では78 kg級の選手である岩手県警の日陰暢年を横四方固で破ると、決勝では松井を判定で破り6連覇を達成した。5月には前年のマーストリヒト世界選手権での2階級制覇が評価されて、フランス・スポーツ・アカデミー賞のグランプリに選ばれた。9月の体重別選手権では決勝で斉藤を注意で破り優勝した。11月の嘉納杯無差別では準決勝で天理大学の正木嘉美を大外刈で下すと、決勝では斉藤を小外刈による有効で下して優勝。続く団体戦でも全勝してチームの優勝に貢献した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たヴォイチェフ・レシェコ

    1981年4月には前年5月以来約11ヶ月ぶりの試合となる全日本選手権に出場して、初戦である滋賀県警の伊藤久雄戦こそ内股による有効止まりだったものの、その後は一本勝ちを積み重ね、決勝では遠藤を横四方固で破り5連覇を達成した。6月には体重別を欠場するが世界選手権では95 kg超級と無差別の2階級で代表に選ばれた。9月にはオランダのマーストリヒトで開催された世界選手権に出場して、準決勝で韓国の趙容徹を内股、決勝ではソ連のグリゴリー・ベリチェフを横四方固で破るなどオール一本勝ちで優勝を果たすと、無差別でも決勝でポーランドのヴォイチェフ・レシェコを送襟絞めで下すなど、95 kg超級、無差別級の総計10試合で相手にいかなるポイントも与えず全て一本勝ちして、2階級制覇を達成した。10月には国体成年の部で6戦6勝して神奈川県の優勝に大いに貢献した。11月には日本国際柔道大会に出場して、決勝で斉藤に注意で優勢勝ちを収め、優勝を果たした。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たモハメド・ラシュワン

    エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下の頭には『金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下』と『タオルを被って号泣してうつむく山下』の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ控え室で気合を入れて調整をしている試合直前のラシュワンに対し、意図してにっこり微笑みかけた。目が合い、笑顔で応じたラシュワンの緊張が解けた様を見て、山下は勝機を感じていた。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たラマズ・ニチラーゼ

    大学2年になると、全日本選手権の東京予選に出場してこれを制し、全日本選手権の本大会でも順調に勝ち上がって準決勝で高木長之助を小外刈の有効で下した。決勝では前年のオリンピックで銅メダルを獲得した遠藤純男を相手に一進一退の攻防を繰り広げ、判定2?1ながらも19歳にして史上最年少優勝を果たし、「怪童」が「怪物」と呼ばれるようになった。6月には全日本学生優勝大会で5戦全勝して東海大学の初優勝に大きく貢献。7月には全日本体重別選手権で初優勝を果たし、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。しかし、9月にスペインのバルセロナで開催される予定だった世界選手権は、台湾の入国問題を巡る政治的騒動の結果、大会そのものが中止となった。10月には国体成年の部で5戦5勝して神奈川県の優勝に大きく貢献した。さらに同月の全日本学生選手権に出場するも、決勝で中央大学の吉岡剛に1?2の判定負けを喫した。この一戦は公式戦において山下が喫した16回目の敗戦であるが、これ以降敗れることは一度もなかった。その直後に日ソ親善試合に出場して1試合のみながら勝利した。11月には日仏ソ三国対抗大会に出場してモントリオールオリンピック重量級金メダリストであるソ連のセルゲイ・ノビコフと2度対戦するが、2度とも引き分けに終わった。翌年2月にはグルジアのトビリシで開催されたソ連国際に出場して、95kg超級では予選でノビコフを注意で破ると、準決勝ではローザンヌ世界選手権2位のソ連のラマズ・ニチラーゼを合技で下し、決勝では予選に続いて対戦したノビコフを判定で破り優勝を果たすと、無差別級ではオール一本勝ちでの優勝を成し遂げて、2階級制覇を達成した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た渡辺浩稔

    1984年4月の全日本選手権では、初戦で遠藤純男の教え子である秋田経法大学の渡辺浩稔の蟹挟みに横転するがポイントにはならず、その後崩上四方固で一本勝ちすると、準決勝では正木も崩上四方固で破り、決勝では斉藤仁から注意を取って優勢勝ちして8連覇を達成した。5月の体重別選手権は欠場したが、ロサンゼルスオリンピック無差別代表に選ばれた。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た日陰暢年

    1982年4月の全日本選手権では、準々決勝で前年の世界選手権86 kg級2位である埼玉大学教員の野瀬清喜を送襟絞、準決勝では78 kg級の選手である岩手県警の日陰暢年を横四方固で破ると、決勝では松井を判定で破り6連覇を達成した。5月には前年のマーストリヒト世界選手権での2階級制覇が評価されて、フランス・スポーツ・アカデミー賞のグランプリに選ばれた。9月の体重別選手権では決勝で斉藤を注意で破り優勝した。11月の嘉納杯無差別では準決勝で天理大学の正木嘉美を大外刈で下すと、決勝では斉藤を小外刈による有効で下して優勝。続く団体戦でも全勝してチームの優勝に貢献した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たヘンリー・ストール

    1983年の3月には大学院を修了して、4月からは東海大学体育学部の講師となった。そして全日本選手権では準決勝で新日本製鐵の藤原敬生に豪快な大外刈で一本勝ちすると、決勝では斉藤に判定勝ちして7連覇を達成した。7月の全日本体重別選手権では決勝で斉藤を指導で下して優勝を果たし、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。10月にソ連のモスクワで開催された世界選手権では、準決勝で東ドイツのヘンリー・ストールを指導で下すと、決勝ではオランダのウィリー・ウィルヘルムを横四方固で破り、世界選手権3連覇を達成した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た森岡賢一郎

    山下少年物語(1985年、キネマ東京、ザ・ワールド企画、森岡賢一郎事務所の共同製作。東宝東和配給。)山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

150件中 31 - 40件表示

「山下泰裕」のニューストピックワード