150件中 41 - 50件表示
  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た上村春樹

    17歳で出場した1975年の全日本選手権では、高校生ながら準決勝まで進出し、そこで旭化成の上村春樹に判定負けを喫するも3位入賞を果たした。5月にはウィーン世界選手権の国内1次予選会に出場するが、警視庁の遠藤純男に優勢負け、福岡県警の二宮和弘には合技(大外刈、小外刈)で一本負けを喫した。7月には2次予選会に出場するが、そこでは静岡県警の安斉悦雄に優勢負けした。一方、金鷲旗では11戦全勝して東海大相模の初優勝に貢献すると、インターハイ団体戦では8戦全勝して東海大相模を初優勝に導き、個人戦重量級でも6戦全勝して2年ぶり2度目の優勝を果たした。9月には全日本選抜体重別選手権に出場したが、全日本選手権同様、遠藤に優勢負けした。10月には国体高校の部に出場して、8戦7勝1分けの成績で神奈川県の優勝に大きく貢献。11月には全日本新人体重別選手権で優勝を果たした。翌76年の1月にはフランス国際に出場して、準決勝でオーストリアのクラウス・ワラスにまず小内刈で効果を取られると、続いて出足払いで技ありを取られピンチを迎えるも(この技を主審は一本と判断したが、副審2人が技ありと示したことで技ありに訂正となった)、その後横四方固で逆転の一本勝ちを果たすと、決勝でもミュンヘンオリンピック重量級3位であるソ連のギービ・オナシビリに棄権勝ちして、高校生にしてフランス国際を制した。2月にはモントリオールオリンピックの1次予選会に出場するも、そこで遠藤、二宮、警視庁の高木長之助にいずれも優勢負けを喫した。3月には全日本選手権の関東予選に出場して優勝し、同月、東海大相模高校を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た文部科学省

    文部科学省中央教育審議会委員(第1期 - 第2期)山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た九州学院中学校・高等学校

    高校進学に当たり東京の強豪校から多くのスカウトを受けるが、「東京へ出るのは大学からでいい」と考えていた山下は、恩師の白石が新たに柔道部監督を務めることになった九州学院高校に進学する。金鷲旗の準決勝では嘉穂高校2年生の吉岡剛に判定負けしてチームは3位にとどまったものの、インターハイ重量級では史上初の1年生優勝を果たした。2年生の時には7月の金鷲旗で10戦全勝してチームを優勝に導いたものの、続く8月のインターハイの準決勝ではその年の全日本選手権に高校生ながら出場を果たして注目された岐阜県立関高校3年生の松井勲に判定負けして3位に終わる。もはや熊本には練習相手がおらず、自身の実力が伸び悩んでいるのを実感していた山下は、松井や吉岡の成長を見るにつけ現状に不安を覚えたことや、祖父の奨めなどもあり、2学期からは前年より勧誘のあった東海大相模高校に転校することとなった。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た東海大学付属相模高等学校・中等部

    高校進学に当たり東京の強豪校から多くのスカウトを受けるが、「東京へ出るのは大学からでいい」と考えていた山下は、恩師の白石が新たに柔道部監督を務めることになった九州学院高校に進学する。金鷲旗の準決勝では嘉穂高校2年生の吉岡剛に判定負けしてチームは3位にとどまったものの、インターハイ重量級では史上初の1年生優勝を果たした。2年生の時には7月の金鷲旗で10戦全勝してチームを優勝に導いたものの、続く8月のインターハイの準決勝ではその年の全日本選手権に高校生ながら出場を果たして注目された岐阜県立関高校3年生の松井勲に判定負けして3位に終わる。もはや熊本には練習相手がおらず、自身の実力が伸び悩んでいるのを実感していた山下は、松井や吉岡の成長を見るにつけ現状に不安を覚えたことや、祖父の奨めなどもあり、2学期からは前年より勧誘のあった東海大相模高校に転校することとなった。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たモスクワ

    1983年の3月には大学院を修了して、4月からは東海大学体育学部の講師となった。そして全日本選手権では準決勝で新日本製鐵の藤原敬生に豪快な大外刈で一本勝ちすると、決勝では斉藤に判定勝ちして7連覇を達成した。7月の全日本体重別選手権では決勝で斉藤を指導で下して優勝を果たし、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。10月にソ連のモスクワで開催された世界選手権では、準決勝で東ドイツのヘンリー・ストールを指導で下すと、決勝ではオランダのウィリー・ウィルヘルムを横四方固で破り、世界選手権3連覇を達成した。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たACジャパン

    ACジャパン - 1980年代後半(当時:公共広告機構)に放映されたCMで言った「人生、投げたらイカン」という言葉が当時反響を呼んだ。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た筑波大学

    大学4年になると、全日本選手権では初戦から一本の山を築き、準決勝では高校時代からのライバルで筑波大学大学院在籍の松井勲を横四方固、決勝では遠藤を合技で破るなどして、全日本選手権では戦後初となるオール一本勝ちでの3連覇を果たした。6月には全日本学生優勝大会で5戦オール一本勝ちを成し遂げて東海大学の3連覇に大きく貢献した。9月には全日本体重別選手権の決勝で遠藤を合技で破り、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。10月には全日本学生選手権95 kg超級で2連覇を達成すると、無差別でも決勝で国士舘大学1年生の斉藤仁にやや苦戦したものの最後は崩上四方固で破り、2年連続3度目の優勝を果たした。続いてアメリカ国際柔道大会に出場して、95 kg超級、無差別級ともにオール一本勝ちで優勝した。12月にはフランスのパリで開催された世界選手権に出場して、準決勝でチューリンを崩上四方固で破ると、決勝では地元フランスのルージェから一本勝ちこそならなかったものの、大外刈で技ありと有効、さらには注意ポイントまで取って快勝して、世界選手権で初優勝を果たした。翌年1月には選抜団体で3戦全勝して東海大学の初優勝に貢献。2月には東海大学の韓国遠征メンバーの一員として訪韓し、現地での試合では全勝した。3月、東海大学を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た監督

    同大学柔道部監督。柔道指導員、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟会長、日本オリンピアンズ協会理事。過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、理事・副会長・強化委員長(2013年 - 2017年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長などを歴任。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見た全日本学生柔道優勝大会

    4月には東海大学体育学部武道学科に進学。そしてオリンピックの2次予選会に出場するも、上村春樹と遠藤純男にそれぞれ優勢負けを喫した。さらに全日本選手権にも出場するが、3回戦で、前年に続き上村に小内刈で有効を取られて敗れた。5月には全日本体重別選手権に出場するが遠藤に優勢負けした。6月には学生優勝大会で全勝するも、チームは中央大学に敗れ2位に終わった。10月には全日本学生大会の無差別級で史上初の1年生チャンピオンに。11月には全日本選抜団体選手権に出場して6戦5勝1分けするが、チームは2位に終わった。さらに全日本新人体重別選手権大会で2連覇を果たすと、12月にスペインのマドリードで開催された世界ジュニア選手権では、オール一本勝ちで優勝を飾った。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

  • 山下泰裕

    山下泰裕から見たパリ

    大学4年になると、全日本選手権では初戦から一本の山を築き、準決勝では高校時代からのライバルで筑波大学大学院在籍の松井勲を横四方固、決勝では遠藤を合技で破るなどして、全日本選手権では戦後初となるオール一本勝ちでの3連覇を果たした。6月には全日本学生優勝大会で5戦オール一本勝ちを成し遂げて東海大学の3連覇に大きく貢献した。9月には全日本体重別選手権の決勝で遠藤を合技で破り、世界選手権95 kg超級代表に選ばれた。10月には全日本学生選手権95 kg超級で2連覇を達成すると、無差別でも決勝で国士舘大学1年生の斉藤仁にやや苦戦したものの最後は崩上四方固で破り、2年連続3度目の優勝を果たした。続いてアメリカ国際柔道大会に出場して、95 kg超級、無差別級ともにオール一本勝ちで優勝した。12月にはフランスのパリで開催された世界選手権に出場して、準決勝でチューリンを崩上四方固で破ると、決勝では地元フランスのルージェから一本勝ちこそならなかったものの、大外刈で技ありと有効、さらには注意ポイントまで取って快勝して、世界選手権で初優勝を果たした。翌年1月には選抜団体で3戦全勝して東海大学の初優勝に貢献。2月には東海大学の韓国遠征メンバーの一員として訪韓し、現地での試合では全勝した。3月、東海大学を卒業。山下泰裕 フレッシュアイペディアより)

150件中 41 - 50件表示

「山下泰裕」のニューストピックワード