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山岡賢次から見た2009年
1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で衆議院議員に転身し、翌1994年(平成6年)、加藤六月と共に自民党を離党し新生党へ入党した。新生党の解党とともに新進党入りしたが、1996年(平成8年)、第41回衆議院議員総選挙で落選した。4年後の2000年(平成12年)、第42回衆議院議員総選挙では自由党から立候補し、比例北関東ブロックで当選し政界に復帰。2003年(平成15年)の民由合併にともない民主党入りし、以後、自身の選挙区である、比例北関東ブロックで当選を重ねた。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で当選した。(山岡賢次 フレッシュアイペディアより)
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山岡賢次から見た公明党
4月9日、衆参両院の議院運営委員長である笹川尭と西岡武夫が会談し、両院合同代表者会議で山岡の事情聴取を行うと決定した。西岡は山岡に出席するよう要請したが、山岡は「プライベートなことなので、話すことはない。呼ばれるいわれはない」と拒否する意思を示した。しかし、党内外から批判が続出したことから山岡は出席する意向を示したが、今度は方式などで自民・民主両党間での調整がつかず、笹川と西岡は事情聴取を無期延期とした。これに対し、自民党の衆議院議員59名が「事実とすれば行政権に対する国会の過剰介入」として山岡への証人喚問を要求する要望書を提出するなど反発が強まり、自民・公明両党は、山岡が今後も説明を拒む場合は政治倫理審査会に召喚することを合意した。しかし審査会は開かれず、召喚もされなかった。(山岡賢次 フレッシュアイペディアより)
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