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2011年の日本シリーズから見た山崎武司
実況:森脇淳、解説:江本孟紀・立浪和義、ゲスト解説:藤川球児(阪神タイガース)フィールド解説:金村義明・山崎武司(前・東北楽天ゴールデンイーグルス)フィールドレポーター:渡辺和洋(CX、ソフトバンクサイドのリポーター、監督・ヒーローインタビューも兼任)、リポーター:小田島卓生(中日サイド)(2011年の日本シリーズ フレッシュアイペディアより)
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スポルたん!LIVEから見た山崎武司
2009年頃から2010年8月まで使用されたオープニング映像は、ユアスタの外観 → ボールを蹴る選手(梁勇基がモチーフ) → Kスタ宮城の外観 → ボールを撃つ打者(山?武司がモチーフ)がシルエットで描かれていた。(スポルたん!LIVE フレッシュアイペディアより)
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立浪和義から見た山崎武司
1月6日、ナゴヤドームで「立浪選手に感謝する会」が開催された。2月27日にロッテとのオープン戦で引退記念試合を行った。中日の選手でオープン戦で引退試合が行われるのは2002年の今中慎二以来であり、立浪の次は2014年の山崎武司であった(なお、この時点では後に山崎や山本昌の引退試合で行われたような「一日限定で支配下選手として登録(一日契約)」という手法は採用されなかった)。2010年1月26日、同じく前年限りで現役引退した赤星憲広・清水崇行と共に日本テレビ(日テレ)のプロ野球中継解説者となることが発表された(主に中日戦。ただし、中京テレビ(名古屋にある日テレ系局)はナゴヤドームの中日主催試合の放映権が無い。日テレ製作の巨人戦でも中日に絡まない数試合にも出演する)。ゲスト解説者としてCBCテレビ、CBCラジオ、フジテレビ、東海テレビ、テレビ愛知の中継にも不定期出演する。また、片岡篤史の後任として北海道文化放送の「スポーツワイド Fの炎」のレギュラー解説者にも起用された。(立浪和義 フレッシュアイペディアより)
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トニ・ブランコから見た山崎武司
は同年から東北楽天ゴールデンイーグルスから中日に復帰した山崎武司とのポジション争いの結果、開幕直後は代打での出場が中心だったが、山崎の故障もあり、4月下旬からスタメンに復帰。また、応援歌コール「かっとばせ ブランコ!」は、今シーズンから「Go Go Let's Go ブランコ!」に変更された。5月には月間打率3割3分3厘、9本塁打、23打点を挙げ月間MVPを獲得した。7月8日のDeNA戦では山口俊から死球を受けた際に左手中指を骨折し登録を抹消、選手間投票で選ばれたオールスターゲームおよびファン投票で選出された本塁打競争の出場も辞退した(代わりに巨人の阿部慎之助が出場)。ブランコが不在の間、4番は和田一浩と森野将彦と山崎武司が務めた。8月28日の巨人戦で一軍復帰すると、早速連続タイムリーでチームに勝利をもたらす活躍を見せた。9月4日の対広島戦で、江草仁貴から来日初の満塁本塁打を放った。同年オフの残留交渉では、球団側は成績にかかわらず、「マネーゲームはしない」として当初から厳しい契約を示唆していた。その結果、金銭面での乖離で難航した。中日は、11月の段階でブランコの自由契約を前提とした行動をしており、11月9日には監督の高木守道が「ブランコなんて三振、三振、三振だ。落ちるボールを放っときゃいいわ!」「前に監督やった時も落合が出て行ったけど、出て行きたいヤツは出て行けばいい。去る者は追わず。無理して引き留めんでいい」と、この時点でまだ自分の部下であったブランコへの挑発的な言動を見せた。高木監督は夫人から「いらんこと言うな」とたしなめられている。11月30日に正式に保留選手名簿から外れ、自由契約公示された。中日新聞によると、金銭面以外の原因としては、この年の途中にブランコが契約した代理人との交渉が上手くいかなかっただけでなく、本人との直接交渉ができなかったこと、チーム編成のバランスを重視していた中日サイドとの乖離もあった。ちなみに、クライマックスシリーズ終了後にブランコは母国に帰国していたが名古屋市内にあった自宅は片付けられていたということから中日に残留することは既に頭の中になかったことが窺い知れる。ただし、同じく中日新聞社の中日スポーツによると、ドミニカに帰国中のブランコを取材した時は、中日の提示した待遇に満足している旨の発言をしていたといい、「義理人情に厚い男が、カネだけで動いたとは思えない。」と他の要因を示唆している。(トニ・ブランコ フレッシュアイペディアより)