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    山崎武司から見た和田一浩

    12月8日、中日への入団が決定。10年ぶりの古巣復帰を果たすことになった。背番号は楽天時代と同じ7に決定(2002年まで中日で着用していた背番号22は大野雄大が、オリックス時代の背番号5は和田一浩が着用)。また、楽天から中日へ移籍した初の選手となった。年俸3,000万円と大幅ダウンになったものの、出来高は最大1億円という、中日では異例の契約となった。チームメイトであるトニ・ブランコとの競争の中、3月30日の開幕戦で4番打者での出場となり2010年に阪神・金本が記録した41歳11カ月を上回る43歳4カ月のセ・リーグ最年長記録となった。その後も4番打者として出場していたものの、4月25日に野本圭と共にインフルエンザB型に感染していたことが判明し、登録を抹消された。7月14日の対巨人戦3回裏、復帰後初のホームランをD.J.ホールトンから放った。しかしシーズンを通して90試合に出場したものの、打率.209、1本塁打、13打点と期待に沿う活躍はできなかった。またシーズン終盤には左手薬指の骨折もあり、一時は本人も引退を考えていたが、チームは来年も山崎を戦力の一員として考えていたため山崎本人も現役続行を決断。12月5日の契約更改交渉で300万円減の2700万円プラス出来高払いでサインし、来季の現役続行が決定した。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た日高剛

    2007年4月25日のオリックス戦でランス・カーターから死球を受けた。この試合、楽天先発の田中将大が1回裏に、2番手松崎伸吾が8回裏に、いずれもグレッグ・ラロッカに死球を与えていて、オリックス先発の吉井理人が2回表にケビン・ウィットの頭部付近へビーンボールを投げ、5回表には当の山?にソロ本塁打を打たれた後に、高須に死球を与えていた。この経緯より報復死球と捉えた山?はマウンドに詰め寄ろうとしたが、それを止めようとした日高剛のマスクをはたき落としたため、両軍入り乱れる乱闘となった。その中でオリックスのタフィ・ローズが山?を小突いたとして退場が宣告されたが、日高のマスクをはたき落とした山?については審判が見ていなかったということで何ら処罰を受けなかった。仮に目撃していたら退場にしていたと永見武司球審は語っている。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た岩瀬仁紀

    は5月14日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島?)ではエリック・スタルツから自身初となる代打満塁本塁打を放ち、5月23日の中日戦(ナゴヤドーム)にて山内壮馬から本塁打を放ち、史上19人目となる12球団から本塁打を達成(全球団から本塁打ではない。山?の場合、楽天を除き近鉄を含む12球団だが、プロ野球リーグに加盟する全ての球団から本塁打を打つ事が条件であり、達成するには楽天の投手から本塁打を打たなければならない)。オールスターゲームでは、一戦目では中日時代の元同僚の岩瀬仁紀から本塁打。ベストプレー賞を獲得。二戦目では東野峻から本塁打と、40代での現役選手ではプロ野球史上初の2本の本塁打で存在感を示すも、この年の前半戦は大不振に陥り、交流戦で12球団トップとなる11本塁打を放って一時は復調したものの交流戦後に再び不振に陥った。後半戦では復調し、チームトップの28本塁打93打点を挙げたが打率は.239と前半の不調が響いた形となり、チームも4年ぶりの最下位に沈んだ。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た藤岡好明

    1000打点:2009年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(クリネックススタジアム宮城)、6回裏に藤岡好明から左翼線へ2点適時二塁打 ※史上35人目山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た落合博満

    落合博満がFAで読売ジャイアンツへ移籍する。大豊泰昭が一塁手へ転向したことで外野のポジションに空きができたが、彦野利勝の復活などもあって前年より出場数を減らす。10.8決戦では出場機会がなかった。12月4日、名古屋市総合体育館(現:日本ガイシホール)で薬師寺保栄が暫定王者辰吉丈一郎を破り3度目の防衛=王座統一した「世紀の一戦」をリングサイドで観戦、直後の山?の結婚式には薬師寺が出席している。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た松井稼頭央

    10月10日に退団が発表される。山?本人は「まだやれる自信はある」と発言し、現役続行を希望した。この年は打率こそ.229にとどまったものの怪我がありながら11本塁打、48打点は貧打に喘いだチーム内ではトップ(打点は松井稼頭央とトップタイ)だった。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た小坂誠

    は6月14日の横浜戦(Kスタ宮城)で松家卓弘から本塁打を放ち、史上5人目となるセ・パ両リーグ150号本塁打を達成。7月8日のロッテ戦(Kスタ宮城)では史上102人目の通算1500安打を達成したものの、前半戦はチャンスで打てない事が多かった。しかしオールスター明けからは大事な場面で打つ事が増え、特に8月16日のロッテ戦(Kスタ宮城)で8回までチームは無得点、6点ビハインドの状況で唐川侑己から史上23人目の通算350号3ラン本塁打を放つと、9回裏二死の2点ビハインドの場面ではブライアン・シコースキーから同点2ラン本塁打を放った。この試合は結局延長12回裏に小坂誠がサヨナラヒットを放った事で6点差をひっくり返した劇的な勝利を収め、この試合以降チームは29勝16敗という飛躍的な成績を挙げた。最終的に打率は.246と低かったものの39本塁打107打点と両部門パ2位という成績で打線を牽引し、チーム史上初の2位とCS出場に貢献した。40代での本塁打30本到達は王貞治、門田博光、タフィ・ローズに次いで4人目。打点は前述の王貞治、衣笠祥雄の記録を更新する実動21年目での100打点到達となった。また41歳を迎えるシーズンでの100打点到達は門田博光、タフィ・ローズ、金本知憲の40歳を超える史上初の記録。更に本塁打は楽天移籍後の150本塁打到達となり、中日時代に記録した本塁打と合わせて史上7人目となる2球団での150本塁打も記録。CSでは40代以上では初となるポストシーズン2本の本塁打、7打点を挙げたがチームは第2ステージで日本ハムに敗れた。同年、指名打者部門のベストナインに2年ぶりに選出された。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た川口和久

    初二塁打:1989年9月16日、対広島東洋カープ21回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に川口和久から山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見たアレックス・カブレラ

    試合を離れれば穏やかで笑顔を絶やさない性格であるが、一方で投手や捕手に詰めよったり審判に対する暴言や侮辱行為によって退場を宣告されることが多く現役の日本人選手としては最多の通算6回の退場処分を受けている。外国人選手を含めてもアレックス・カブレラの7回(西武5回、オリックス2回)に次いで2番目に退場数が多い。選手として在籍して3球団で退場処分を受けたのは、日本プロ野球でタフィ・ローズと山?の2名だけである。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た館山昌平館山 昌平

    350二塁打:2012年7月26日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(ナゴヤドーム)、5回裏に館山昌平から右翼線二塁打 ※史上34人目山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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