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    山崎武司から見た江尻慎太郎

    3月26日、チーム史上初の公式戦である千葉ロッテマリーンズ開幕戦では5番・指名打者で先発出場。開幕直後に右手に死球を受けて二軍で治療に専念するなど、レギュラーシーズン当初は活躍できなかったが、この年から始まったセ・パ交流戦に入ると、徐々に調子を上げ、5月7日の巨人戦では9回裏に前田幸長から球団史上初の代打本塁打を、6月になったばかりの時は4試合連続の5本塁打を放つ。交流戦後は4番・指名打者として定着する。7月2日の日本ハム戦では3回裏に江尻慎太郎から史上234人目、通算1000本安打となる左前安打を放つ。プロ入り19年目の年での達成であった。7月27日の対日本ハム戦の試合前に宮城県仙台市内の小学校を訪問。子供たちに「本塁打を打つ。」と約束して臨んだこの日の試合で満塁本塁打を放った。当時、山崎は右バッターのバッティングの基本である「右足重心」という言葉さえも知らなかった状態だったので、監督の田尾により基本を徹底的に指導された。田尾の指導によるフォームの改造が、この年の118試合に出場して5年ぶりの規定打席到達、チーム最多の25本塁打や後年の好成績を残せるようになった要因の一つだと本人は挙げている。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見たマーク・エーカー

    トレードで阪神タイガースへ移籍した大豊に代わり、左翼手から一塁手に転向する。8月18日の対ヤクルト戦では2回表にマーク・エーカーから史上198人目となる通算100号本塁打を放つ。27本塁打は松井、江藤智に次ぐリーグ3位。最多勝利打点の16打点で表彰され、最優秀JCB・MEP賞を受賞する。11月1日のセントラル・リーグ東西対抗戦では3ランホームランを放ち、MVPとなった。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た田辺学

    5月9日の対横浜大洋ホエールズ戦では田辺学から一軍での初本塁打(場外ソロ本塁打)を放つ。この年は26試合に出場したが、打率.140と低調だった。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た倉野信次

    8月19日のダイエー戦で2回表に倉野信次から史上77人目となる通算200号本塁打を放った。この年、110試合に出場したものの規定打席には到達せず低打率に苦しんだ。だがチームの日本人選手の中では最多の22本塁打を放った。しかしチームは2年連続でリーグ最下位に終わった。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た中村武志

    9月7日の対広島東洋カープ戦では9回表に代打として一軍で初出場。9月10日の対ヤクルトスワローズ戦では9回裏、内藤尚行から初安打となる左前安打を放つ。10月15日の対広島戦で捕手として先発出場するが、盗塁王を狙う正田耕三に5盗塁を許す。正田はこの試合で中村武志から1盗塁を決めて、1試合6盗塁の日本プロ野球タイ記録を樹立。この試合の後、外野手に転向。一軍では、20試合に出場した。二軍では本塁打王と打点王を獲得する。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た東北楽天ゴールデンイーグルス

    現役時代は主に中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルスで通算27年間にわたり活躍。通算403本塁打を記録した強打者であり、本塁打王に2回(1996年、2007年)、打点王に1回(2007年)輝いており、史上3人目のセ・パ両リーグでの本塁打王の達成者である。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見たテレビ愛知

    からは、フジテレビ・ニッポン放送・東海テレビ・東海ラジオ・テレビ愛知の野球解説者、FOX SPORTS『BASEBALL CENTER』のアナリスト、夕刊フジの野球評論家を務める。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た水曜日のダウンタウン

    水曜日のダウンタウン(2014年8月27日) - 時速300キロのピッチングマシンに挑戦。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た埼玉西武ライオンズ

    4月27日からの西武ライオンズの3連戦(ナゴヤドーム)で監督の伊原春樹は地元出身選手として先発出場を約束。初日は4番・指名打者として先発出場して3打数、2安打と活躍した。ところがこの試合中に負傷した谷佳知が翌日に3番・指名打者として先発出場する。山崎は関係者も多数招待していた試合での先発落ちにショックを受け、試合開始前に帰宅。その直前には監督室にバットを放り投げ、ゼネラル・マネージャーの中村勝広に伊原の解任を直訴するなどの行為を行った。これが「職場放棄」などと見なされ、翌日に懲罰的な意味で二軍へ降格させられる。この「ボイコット事件」について山崎本人は、試合に出られる心理状態ではないという伊原の判断の下、許可があったために帰宅したと述べている。これ以降、2軍落ちを何度も経験し、9月には自身の実家に戻った。レギュラーシーズン最終戦の前には伊原から和解を求める電話があったが、再びチームに戻ることはなかった。しかし、伊原とは退団後に和解し、雑談や会話をすることもあると自著で語っている。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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    山崎武司から見た戦力外通告

    最終的に同年は62試合の出場にとどまり、4本塁打、打率.245と前年より調子を落としてシーズンを終了した。この時に中日・オリックスにて人間関係のトラブルにより野球がまともにできずそれに嫌気をさして一度は引退を考え、追って球団事務所からも戦力外通告を受けたが、団野村からの電話と高校の先輩・工藤公康の説得と長男からの応援により、現役続行を決意した。同時期に新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスの監督・田尾安志に評価され入団オファーを受けたが、山崎は「野球はもう、結構です」と一度は断ったものの、団の「それでは俺は困るんだ」との説得や、田尾からも熱烈な誘いも有り承諾した。12月11日、正式に契約。背番号は「7」。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

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