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    山川静夫から見た中村勘三郎 (18代目)

    古典芸能、とりわけ歌舞伎に対する造詣・関わりが強く、國學院大學在学中には歌舞伎研究会を自ら設立させた。その当時から役者の声まねを得意とし、ラジオの素人参加番組ではその卓越した技芸で常連となっていた。また、先代(17代)中村勘三郎とは私生活でも親交が深く、学生時代には勘三郎は二役を務める舞台などで、特に勘三郎の声まねを得意としていた山川を使い、早替りのための時間稼ぎに山川の声を使い、その間を繋げたことも度々あったという。その声は、勘三郎夫人にも違いが判らなかったほどの出来栄えであった。長男の18代目とも親交があり、彼の訃報に際しては『ニュースウォッチ9』で想い出を語った。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た宮田輝

    あえて高橋圭三・宮田輝という目標としてきた名アナウンサーの路線を踏襲せずに自分の司会スタイルを確立しようとしていた姿勢の表れとみることができ、紅白におけるアナウンサー司会の形式に新風をもたらした功績は大といえる。また、最初にコンビを組んだ佐良直美(1974?1977年)、黒柳徹子(1980?1982年)との舌戦は、紅白随一の名コンビとして、高い評価を得ている。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た中村歌右衛門 (6代目)

    國學院大學文学部卒業。日本の伝統文化に興味があり、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。中村勘三郎 (17代目)、中村歌右衛門 \(6代目\)、吉田玉男、吉田簑助など古典芸能の名人たちと親交が深い。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た春日八郎

    1975年の紅白では、デビュー曲「赤いランプの終列車」を紅白で初披露することになった春日八郎の紹介の際に、曲名を捩って「紅はこれでお終いです」と紅組メンバーを牽制。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た市川海老蔵 (11代目)

    1991年からは国語審議会委員を務め、また芸能評論家として雑誌・単行本に評論・エッセイを執筆するなど、退職後はブラウン管から一歩離れた立場での活躍が目立っているが、NHK衛星第二において、「山川静夫の華麗なる招待席」「昭和の歌人たち」といった番組の司会を担当し長年に渡り出演してきたほか、2010年には十一代目市川海老蔵の結婚披露宴(全2部構成の第1部)の司会を担当した。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た向坂松彦

    同期にはスポーツアナウンサーとして知られる向坂松彦がいる。元日本テレビアナウンサーの志生野温夫は大学時代の同級生。NHKの採用試験は、志生野とともに受験したが、志生野は4次試験の面接で落第してしまった。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見たロッキード事件

    1976年の紅白でのフォーリーブス紹介で「ター坊、マー坊、トシ坊、そして今年の話題の中心人物コーチャン(北公次の愛称「コーちゃん」と同年発覚したロッキード事件で知られるロッキード社副会長の捩り)。これで紅はコーチャン(降参)でしょう!」山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見たダックスフント

    1974年の紅白での短足をネタにされている布施明を紹介する際に述べた「布施明、お尻の下は、すぐかかと」という文句は余りに有名。更に1976年の紅白では「ダックスフント協会会長の布施明さんです」と述べている。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見た脳梗塞

    1972年チーフアナウンサー、1988年理事待遇、1990年に特別主幹(事務理事待遇)職に就任するが、その後も当時の担当番組だった「くらべてみれば」ではアナウンサーとして司会を続け、1991年と1992年には「国民的番組」の名誉復権をかけて10年ぶりに紅白に総合司会として司会復帰する等、1994年3月(実際、山川は1993年の時点で60歳を迎えていた)に定年退職するまで"NHKの顔"として活躍した。2000年に脳梗塞とそれに伴う失語症、心不全、結腸腫瘍による腸閉塞と相次いで大病に見舞われたが、短期間で復帰。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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    山川静夫から見たサクラ

    1978年の紅白では、出番を終えた桜田淳子を「桜田淳子さん、ありがとうございました」とねぎらいながらも、「今の拍手はサクラだ(桜田)」と一言。また、庄野真代にも出場曲「飛んでイスタンブール」を捩って「先程の歌は"とんでもないイスタンブール"の間違いでございました。お詫びして訂正したい気持ちでございますが…」とこれまた痛烈な表現で庄野の歌を牽制した。山川静夫 フレッシュアイペディアより)

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