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  • 山本昌

    山本昌から見た東京ヤクルトスワローズ

    4月2日の対巨人戦での登板で、投手としては大野豊の22年を抜き、野手を含めても衣笠祥雄の23年と並ぶセ・リーグ最長の実働年数(プロ野球最長は2010年現在工藤公康の29年)となった。5月7日の対広島戦で6回を2安打無失点5三振に抑え、シーズン初勝利。5月14日の対ヤクルト戦で史上26人目となる通算3000投球回を達成。8月4日、ナゴヤドームでの対巨人戦で完投勝利。プロ野球史上24人目となる通算200勝を達成した。中日球団投手の200勝達成は杉下茂以来51年ぶり、42歳11か月での200勝と完投勝利は共に史上最年長記録。200勝達成投手の中でも5年目に初勝利を挙げたのは最も遅い記録。中日ドラゴンズの投手として初の日本プロ野球名球会入会(昭和生まれではない杉下は入会資格は無い)となった。8月24日の対巨人戦にて史上最年長完投記録を更新(43歳0か月)、史上最年長2桁勝利を記録。8月は4勝1敗の好成績を挙げ、史上最年長で月間MVPにも選出された。10月2日、故郷の神奈川県茅ヶ崎市から茅ヶ崎市民栄誉賞が贈られることが決まり、その授賞式が12月27日に茅ヶ崎市総合体育館にて執り行われた。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た読売ジャイアンツ

    4月17日の対阪神戦で完封勝利を挙げ、200勝へ残り8勝と迫る。41歳8か月での完封勝利はセ・リーグ最年長記録。両リーグ通算でも若林忠志に次ぐ2位であった。5月27日の対日本ハム戦では史上80人目の500試合登板を達成。しかしそれ以後は結果を残せず、一軍登録と抹消を繰り返す。9月25日の対巨人戦では自身のエラーも絡み5失点でKO、二軍落ち、そのままシーズンを終える(2勝10敗・防御率5.07)こととなる。同年の日本シリーズではチームが53年ぶりの日本一となったものの、自身の登板機会はなかった。なお、日本シリーズでは、過去に5度(1988年、1999年、2004年、2006年、2010年)出場しているが勝ち星はなく、通算成績も0勝4敗。200勝達成後、次の目標として挙げたものの一つは日本シリーズでの勝ち星であった。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た北海道日本ハムファイターズ

    4月17日の対阪神戦で完封勝利を挙げ、200勝へ残り8勝と迫る。41歳8か月での完封勝利はセ・リーグ最年長記録。両リーグ通算でも若林忠志に次ぐ2位であった。5月27日の対日本ハム戦では史上80人目の500試合登板を達成。しかしそれ以後は結果を残せず、一軍登録と抹消を繰り返す。9月25日の対巨人戦では自身のエラーも絡み5失点でKO、二軍落ち、そのままシーズンを終える(2勝10敗・防御率5.07)こととなる。同年の日本シリーズではチームが53年ぶりの日本一となったものの、自身の登板機会はなかった。なお、日本シリーズでは、過去に5度(1988年、1999年、2004年、2006年、2010年)出場しているが勝ち星はなく、通算成績も0勝4敗。200勝達成後、次の目標として挙げたものの一つは日本シリーズでの勝ち星であった。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た千葉ロッテマリーンズ

    は春季キャンプ中に左肩肩甲骨付近を痛めて(肉離れとの報道もあり)二軍で開幕を迎える。6月に二軍戦で実戦に復帰するが、13日の試合で左足首を痛めて1球投げただけで降板する。その後は調整を続け、8月7日の対阪神戦で同年初登板。6回1失点で勝ち投手となり、「実働25年」と「23年連続勝利」を達成した。さらに9月4日の対巨人戦で完封勝利し、に毎日オリオンズの若林忠志が達成した史上最年長完封勝利の日本記録(42歳8か月)と、2008年に自身が記録した最年長完投勝利記録を更新した(45歳0か月)。結局、この年は5勝を挙げ、中日の逆転リーグ優勝に貢献した。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た藤井美菜藤井 美菜

    名古屋市長選挙 藤井美菜と共演(2009年)山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見たナゴヤドーム

    は初の開幕投手を任され、開幕戦で横浜ベイスターズ相手に8回2/3を投げ自責点2で勝利(ナゴヤドーム初の公式戦で、同球場で初めて勝利を記録)。その年18勝で3年ぶり3度目の最多勝と初の最多奪三振。しかし中日は最下位と低迷した(なお、山本昌はの札幌ドーム初の公式戦でも巨人相手に先発している)。同年オフ2年契約、「2年間で合計20勝出来なかった場合は2000年度の年俸はダウン」の条項を組み込んだ契約を結ぶ。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た今中慎二今中 慎二

    、と2年連続最多勝投手となる。以降1990年代は今中慎二と共に左の二枚看板として中日投手陣を支えた。1994年にはシーズン19勝(8敗)で沢村賞を受賞している。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た武田一浩武田 一浩

    甲虫集めも趣味で、世界の甲虫を集めて息子と一緒に飼育していた。近所の山へ早朝に出かけ、秘密のスポットでカブトムシやクワガタを獲ったりしているらしい。武田一浩曰く「こんなにデカイ体してカブトムシの話したら止まらないんだから」とのこと。また飼育する甲虫類が増えすぎた為にその一部を知人・友人に無償でプレゼントしたことも。しかし2007年シーズンが不本意な成績に終わったことなどから、飼っていた甲虫類を全て友人等に譲り、飼育をきっぱりやめたという。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た村田兆治

    9月30日の対阪神戦で40歳代としては若林忠志、村田兆治、工藤公康に次いで4人目となる2桁勝利を挙げた。10月15日の対横浜戦ではリリーフで登板し、自身1997年以来9年ぶりでセ・リーグ最年長記録となるセーブを記録(41歳2か月)するなど、11勝7敗1Sの成績を残した。山山杯(参照の事)をこの年は開催せず、今のところ2005年が最後の開催となっている。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た三浦将明

    1984年の入団時より背番号34である。同一背番号を着用した選手としては、プロ野球史上最長である。なお、コーチ・監督時代を含む同一背番号の着用に関しては王貞治が読売時代につけていた背番号1の30年間(1959-1988)が現在の最長記録であるが、2013年シーズンも中日に在籍し背番号34を付けることになれば王の記録に並び、さらに2014年シーズンも同様の条件で着用すれば、王の記録を抜きコーチ・監督時代を問わず単独で最長記録を更新することになる。同年20番に変更した小松辰雄が着けていた背番号を与えられたが、単に空番号をドラフト指名順に当てはめただけである(1位藤王康晴:背番号1、2位仁村徹:背番号24、3位三浦将明:背番号26)。その後活躍が認められ、球団からかつて松本幸行が着けていた中日左のエースナンバーとされている21への変更を打診されるが、「この番号が自分のプロ生活のすべてを知っているから変えたくない」と拒否した。今でもユニフォームに袖を通すときは、必ずユニフォームの背面に感謝しながら着る。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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