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    山本昌から見た中村武志

    最優秀バッテリー賞:1回 (1993年、捕手:中村武志山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た三浦将明

    1984年の入団時より背番号34である。34番は日本球界において左投手の代名詞の一つであり、また同年20番に変更した小松辰雄が着けていた背番号でもあったが、単に空番号をドラフト指名順に当てはめただけである(1位藤王康晴:背番号1、2位仁村徹:背番号24、3位三浦将明:背番号26)。その後活躍が認められ、球団からかつて松本幸行が着けていた中日左のエースナンバーとされている21への変更を打診されるが、「この番号が自分のプロ生活の全てを知っているから変えたくない」と拒否した。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た衣笠祥雄衣笠 祥雄

    、4月2日の対巨人戦での登板で、投手としては大野豊の22年を抜き、野手を含めても衣笠祥雄の23年と並ぶセ・リーグ最長の実働年数(プロ野球最長は2010年現在工藤公康の29年)となった。5月7日の対広島戦で6回を2安打無失点5三振に抑え、シーズン初勝利。5月14日の対東京ヤクルトスワローズ戦で史上26人目となる通算3000投球回を達成。8月4日、ナゴヤドームでの対巨人戦で完投勝利。プロ野球史上24人目となる通算200勝を達成した。中日球団投手の200勝達成は杉下茂以来51年ぶり、42歳11か月での200勝と完投勝利は共に史上最年長記録。200勝達成投手の中でも1年目が未勝利なのは史上6人目であり、5年目に初勝利を挙げたのは最も遅い記録。中日ドラゴンズの投手として初の日本プロ野球名球会入会(昭和生まれではない杉下は入会資格は無い。なお、後に岩瀬仁紀も250セーブを達成して入会を達成している)となった。8月24日の対巨人戦にて史上最年長完投記録を更新(43歳0か月)、史上最年長2桁勝利を記録。8月は4勝1敗の好成績を挙げ、史上最年長で月間MVPにも選出された。この年は43歳ながらチームトップの11勝を挙げる。10月2日、故郷の神奈川県茅ヶ崎市から茅ヶ崎市民栄誉賞が贈られることが決まり、その授賞式が12月27日に茅ヶ崎市総合体育館にて執り行われた。自著では後に「加山雄三さんや桑田佳祐さんといった超大物の芸能人を輩出した湘南の街で、おふたりともまだ受賞されてないというのに…」と謙遜するコメントを発表している。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た比屋根渉

    奪三振:49歳363日?2015年8月9日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(ナゴヤドーム)1回表に比屋根渉と雄平を三振山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た西沢道夫

    また、現役時代に一貫して着用してきた背番号「34」は、2016年入団の左腕投手・福敬登に引き継がれた。「(服部受弘が着用していた)『10』と(西沢道夫が着用していた)『15』以外の背番号を永久欠番とみなさない」という中日球団の方針と、「永久欠番にはこだわっていない。できれば、自分と同じ左投手に着用して欲しい」という山本自身の意向による。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た荒木大輔

    投球フォームはスリークォーター。持ち球は最速143km/hのストレート、スクリューにカーブ、スライダーである。スクリューやカーブのキレが良かったのは股関節や膝関節が外に割れている骨格をしておりボールが上手く抜けてくれたからである、と山本本人が自著で分析している。入団時から山本を知る三木安司トレーニングコーチを始めとして当時の中日のトレーニング部門に携わった全員の意見として「野球選手としてはとても大成しないと思った」と言われるほどの骨格であったが、山本はそのデメリットをメリットに変えたのである。ワインドアップ時は両手でグラブを突き上げるように大きく振りかぶり、背を一杯に伸ばしてから投げる。指を舐めてから投げる癖がしばしば見られるが、スピットボールと見なされないようにユニフォームで拭いてから投げている。他に舌を出しながら投げるという癖もあり、これは高校時代に荒木大輔の投球時の表情を真似していたらいつの間にかついた癖だと話している(荒木自身は舌を出していない)。ストレートのスピードは常時130km/h台で、40歳を越えてなお、年齢を重ねるにつれて球速が上がってきており、43歳の時に東京ドームで出した143km/hが自己最速。ただ、「球速が出過ぎる時はストレートを投げたがって狙われ、打たれやすい」と周囲から指摘されている。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た宣銅烈

    、初の開幕投手を任され、開幕戦の対横浜ベイスターズでは8回2/3を自責点2で勝利(ナゴヤドーム初の公式戦で、同球場で初めて勝利を記録)。チームは最下位だったものの抑えの宣銅烈とともに奮闘し18勝を挙げ、3年ぶり3度目の最多勝と初の最多奪三振を獲得。同年オフ2年契約、「2年間で合計20勝出来なかった場合は2000年度の年俸はダウン」の条項を組み込んだ契約を結ぶ。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た武田一浩

    甲虫集めも趣味で、世界の甲虫を集めて息子と一緒に飼育していた。近所の山へ早朝に出かけ、秘密のスポットでカブトムシやクワガタを獲ったりしているとされる。武田一浩曰く「こんなにデカイ体してカブトムシの話したら止まらないんだから」とのこと。最盛期ではオオクワガタを50頭は飼っていたといい、飼っていたオオクワガタの幼虫が体重30gを超えたこともあるという。また飼育する甲虫類が増えすぎた為にその一部を知人・友人に無償でプレゼントしたことも。しかし2007年シーズンが不本意な成績に終わったことなどから、飼っていた甲虫類を全て友人等に譲り、飼育をきっぱりやめたという。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た森岡良介

    中日球団では、2016年3月5日に、ナゴヤドームでのオープン戦(対ヤクルト戦)を山本の「引退試合」として開催。試合前日(4日)には、1日限定で山本と選手契約を結ぶことが、球団およびNPBから発表された。中日の選手の引退試合がオープン戦で開かれるのは2014年の山?武司以来であり、日本プロ野球で引退試合のために選手契約を結ぶのも山?以来である。登録上の背番号は「0」であったが、試合には「打者1人限定」という条件の下に、背番号「34」のユニフォーム姿で先発。元・チームメイトの森岡良介から、3球で三振を奪った。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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    山本昌から見た生原昭宏

    この年のオープン戦第1戦ではノックアウトされており、星野からは「死ぬまで走っておけ!」と命じられ、その日は2、3時間は走った。それからしばらくして、ドジャース傘下のマイナーリーグ(1A)のベロビーチ・ドジャースに所属することになり、チームメートと帯同してフロリダ・ステートリーグ(1A)で試合を行うことになる。事実上の戦力外通告であり、留学生という立場上頑張ったところで2Aへの昇格もあるはずもないためふてくされていたが、現地の選手たちが1Aで優勝するという目標を宣言していたことからふてくされていた自分を反省。そして、そこで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・アイク生原との再会が人生の転機となる。生原からは投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたが、特に大きかったことは消えかけていた野球への熱意や楽しさを再び思い出させてくれたことであったという。山本昌 フレッシュアイペディアより)

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