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とんねるずの生でダラダラいかせて!!から見た山本譲二
「元祖どっきりカメラ」のパロディ企画。にしきのあきら(現・錦野旦)が毎回のようにドッキリのターゲットにされていたが、一回だけ、木梨とCDを出していたジョージ山本がターゲットのときもあった。木梨が仕掛人軍団のリーダー「ノリ圭介」(後期は「木梨野呂武」。元祖の野呂圭介のパロディ)となり、オープニングでの作戦説明や作戦中の仕掛人への指示を行い、作戦終了後には元祖を真似た「生ダラドッキリカメラ NTV」と書かれたプラカードを提示する役を務めていた。毎回いくつかの小ネタドッキリを行った後に大掛かりなドッキリを実行するが、大ネタのコンセプトは必ず落とし穴であった。元祖と同じく、決定的シーンでは別角度から撮った映像や「マンボNo.5」のリズムに合わせて早送り・逆回転する映像などが何度もリピートして流れた。にしきののリアクションが好評であり、彼が生ダラ準レギュラーとなるきっかけとなった企画である。しかし、にしきの自身は「このドッキリは消したい過去である」と他番組出演時に語っていた。(とんねるずの生でダラダラいかせて!! フレッシュアイペディアより)
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木梨憲武から見た山本譲二
1996年には山本譲二とデュオを組み「憲三郎&ジョージ山本」名義で原譲二楽曲による「浪漫-ROMAN-」でヒットを飛ばした。半年後の1996年大晦日の『第47回NHK紅白歌合戦』に出場を果たした。ちなみに木梨は『NHK紅白歌合戦』において別名義での初出場3回(1991年:とんねるず、1996年:憲三郎&ジョージ山本、1999年:野猿)という珍しい経験の持ち主となっている(現在も初出場最多タイ記録で、他の4人は歌手活動を本業としている)。また同じ日に行われた『第38回日本レコード大賞』で企画賞を受賞している。また『木梨サイクル』で共演して意気投合した忌野清志郎とサッカー日本代表への応援ソングも出している。リリースはされなかったが『とんねるずの生でダラダラいかせて』で宇治田みのると共に「サーフノリダーズ」を結成して1曲イメージソングを作っている。(木梨憲武 フレッシュアイペディアより)
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ポニーキャニオンから見た山本譲二
以前山本譲二や石川さゆりなどが所属していた演歌・歌謡曲部門は売上不振から1999年をもって撤退し、2000年に中島みゆきが長年所属していた老舗レーベル「アードバーク」を『ヤマハミュージックコミュニケーションズ』として分離・独立した。その後2006年に復帰した森昌子を除いてJ-POPに特化している。これらの経緯もあってか、レコード会社としては非常に長い歴史を持つにも関わらず、所属アーティストの大半は1990年代後半以降にデビューまたは移籍してきたアーティストによって占められている(一番在籍期間が長い工藤静香も2000年から2002年までは別レーベルに所属していた)。(ポニーキャニオン フレッシュアイペディアより)
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「山本譲二」商品情報
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