-
山本譲二から見た北島三郎
最後の決意で北島三郎の仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島から突然、鞄(かばん)を渡された。即ち「鞄持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務める(当時の北島はまだ30代前半と若く、筋骨隆々としていたため、甘え容赦ない修行の毎日をすごした)。25歳だった。これを契機に1976年、読売テレビ制作の歌謡オーディション番組「全日本歌謡選手権」(当時は浜村淳が司会)に出場、「おもいで岬」や「中の島ブルース」などを歌って見事10週勝ち抜いた。本名でもある「山本譲二」名義でポニーキャニオンから再デビュー。またも鳴かず飛ばずが続く。(山本譲二 フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト
注目ワード
邦楽男性
クリップランキング
────────