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西川鶴三から見た山田五十鈴
1936年(昭和11年)、東京・砧のピー・シー・エル映画製作所(現在の東宝スタジオ)に移籍した。同社は、1937年(昭和12年)9月10日に他の3社と合併して東宝映画になり、同撮影所は東宝映画東京撮影所になった。同社での初期の代表作は、1938年(昭和13年)8月21日に公開された『綴方教室』(監督山本嘉次郎、主演高峰秀子)であり、同作での相棒である撮影技師は三村明(1901年 - 1985年)であった。1940年(昭和15年)9月25日公開の『燃ゆる大空』(監督阿部豊、主演長谷川一夫)では宮島義勇(1909年 - 1998年)、1941年(昭和16年)3月26日公開の『長谷川・ロッパの家光と彦左』(監督マキノ正博、主演長谷川一夫・古川緑波)では伊藤武夫(1907年 - 1978年)とも組んでいる。同作の直前、長谷川一夫・山田五十鈴主演の『昨日消えた男』(監督マキノ正博、撮影伊藤武夫)では、西川とおなじマキノ・プロダクション出身の照明技師の藤林甲(1908年 - 1979年)がメインであったが、西川も応援で参加したことをマキノ正博がのちに著書『映画渡世 地の巻』に描いている。(西川鶴三 フレッシュアイペディアより)
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殉教血史 日本二十六聖人から見た山田五十鈴
映画の内容は、長崎で処刑された26人のキリスト教徒(日本二十六聖人)の殉教の史実によった物語であり、当時の代表的な時代劇監督である池田富保が演出を担当し、主演のペドロ・バプチスタ神父を山本嘉一が演じ、その他にも片岡千恵蔵、伏見直江、山田五十鈴などが出演している。脚本は当初、キリシタン史の専門家である明治大学教授の松崎実と作家の佐藤紅緑との共作脚本だったが、平山の渡欧後、何らかの事情で却下され、上智大学教授のヘルマン・ホイヴェルス神父による新たな脚本で製作されることになった。また演技指導の担当者も、予定されていた伝道士の石川音次郎から、フランシスコ会のエジド・ロア神父(当時の鹿児島知牧)に替えられた。これらの変更は、脚本や演技指導の担当者が日本人から外国人神父に変更されていることから、平山の渡欧後に日本カトリック教会の上層部が、この映画の製作に全面的協力をすることに合意したからなのではないかと考えられる。(殉教血史 日本二十六聖人 フレッシュアイペディアより)